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2016年6月26日 (日)

三菱自動車の「軽」を振り返る(1)

 三菱自動車の軽自動車が大変なことになっています。
 しかし,「燃費の偽装」,ということまでは予測できなかったものの,拙ブログでは過去の「くるまねた」記事で何度か,このメーカーの異常さを取り上げており,このメーカーならやりそうなことだなぁ,という感慨しか持ちません。

・燃費がいいからと言って売れるとは限らない…。http://kusup.cocolog-nifty.com/pasores/2013/03/post-4d3f.html
・高性能なラリーカーと,低廉なビジネス仕様しかないクルマ。http://kusup.cocolog-nifty.com/pasores/2012/11/post-cd02.html
・直噴ガソリンエンジンの悲劇http://kusup.cocolog-nifty.com/pasores/2012/07/post-88f2.html
・エリマキトカゲだけヒットするhttp://kusup.cocolog-nifty.com/pasores/2011/06/post-2a16.html
・どうして2ストロークになったのか…。http://kusup.cocolog-nifty.com/pasores/2010/11/2-30aa.html

 燃費問題が未解決のまま,三菱自動車は日産自動車の傘下に入ることになったり,他社でも燃費偽装が明らかとなったりするなど,この問題はまだまだ現在大きく進行中の事案であり,現時点で拙ブログで何かを語る段階ではありません。拙ブログにできることは,だから今三菱自動車製の軽自動車を振り返ることなのではないかと思いました。

 現在三菱自動車で軽自動車を作っているのは,岡山県倉敷市の「水島」と言われる地域で,もとは児島郡福田村・浅口郡連島町と言っていました。当地はちょうど備前と備中の境目となります。昔々は工場のあった辺りは瀬戸内海の中でした。沖積作用による干潟が干拓されて新田ができ,高梁川の改修により干拓,さらに埋め立てにより陸地が広がっていったのでした。

 一方明治維新の動乱期に政商となった岩崎弥太郎は土佐藩士が設立した九十九商会を引き受け明治6年これを三菱商会とし,翌年これを郵便汽船三菱会社と改名し,競争の末これは日本郵船という会社となります。
 弥太郎の弟弥之助は三菱社を設立,明治14年の高島炭鉱の買収に続き明治17年に官営長崎造船所を借り受け,さらに明治20年,その長崎造船所の払い下げを受け,明治26年三菱合資会社に改組し,弥太郎の息子久弥が社長に就任し,事業の多角化を進めます。
 大正6年,三菱合資会社から三菱造船が分割,この間神戸造船所で「三菱A型自動車」を製造します。「三菱A型自動車」は大正9年名古屋に作られた三菱内燃機という会社で製造されるようになり,この会社が三菱航空機となります。
 そして昭和9年に「造船」と「航空機」が合併し,初代の三菱重工業となります。

 太平洋戦争が始まる昭和16年,高まる戦闘機需要を満たすため,旧三菱重工は岡山県の高梁川河口にできた土地に着目,航空機製作場を作ります。そのため当時の岡山県は強制的にそこの耕地を買収したといいます。この土地の南側には上水島,下水島という2つの島があり,近辺を水島灘と称していました。三菱重工の航空機工場が作られる折りにこの地域を「水島」と称することにしたというわけです。この工場は昭和18年に完成し,522機もの戦闘機を製造します。
 昭和20年6月22日,この水島をアメリカ軍の爆撃機が襲い,11人もの死者と水島工場の壊滅的な被害をもたらします。しかし昭和23年,復興のために航空機用素材だったアルミやジュラルミンをふんだんに使った「みずしま号」というオート三輪の生産を開始,販路を拡大していきます。

 旧三菱重工が3社に分割したのは昭和25年。飛行機を作っていた部門は「中日本重工業」という社名になります。この年,みずしま号は前輪サスペンションにテレスコピック式のサスペンション(オレオフォークと呼んだ)を採用,他社とは一線を画します。
 中日本重工業は昭和27年に新三菱重工業と改称し,その3年後の昭和30年から,オート三輪の名称を「みずしま号」から「三菱号」に変えていきます。しかし昭和29年,トヨタから値段の安い4輪トラックSKB型,後の「トヨエース」が登場,これが昭和30年大幅に値下げして販売され,これが爆発的に売れるようになります。

 対抗する三輪トラックメーカーは独立キャビン化,丸ハンドル化して高級化を進めるのですが,そうすることによりトヨエースとの価格差が縮まってしまい売れ行きが縮小してしまう結果となりました。
 トヨエースが,サイドバルブでありながら水冷4気筒エンジンを搭載していたのに対し,多くの三輪トラックメーカーはこの頃オートバイのような空冷V型2気筒エンジンしか搭載しておらず(愛知機械のヂャイアントは水平対向エンジン),トップメーカーであるダイハツやマツダは水冷4気筒エンジンを搭載してかろうじて生き延びたものの,販売力が弱かったくろがねは水冷4気筒エンジンを採用しても事態は改善できませんでした。新三菱とて,みずしま号改め三菱三輪トラックの最終型は空冷直列2気筒OHVエンジンのままでした。

 その一方で,「軽自動車」枠に目をつけ,軽自動車枠に合致するサイズのオート三輪を,低廉な価格で製造販売する動きが現れます。軽自動車,といっても,昭和24年に制定されたこの規格,当初は幅が1メートルまでと,どう考えても2輪専用の規格でしかありませんでした。翌25年に3輪,4輪の区別が新設され,長さ3メートル,幅1.3メートル,高さ2メートルの寸法が定まり,昭和29年10月にエンジン排気量2合≒360cc(2サイクル・4サイクルとも。2輪と,後に小型特殊自動車となった農耕用を除く。昭和30年4月より施行),という,このあと昭和51年まで続く規格が完成したのでした。

 この規格に目をつけたメーカーのひとつがホープ商会で,昭和27年12月に,旧来のオート三輪そのもののデザインを持つ「ホープスター」を発売します。ホープスターが零細他社の同等品と違ったのは,既存自動車メーカーの部品を使い,コスト低減と信頼性の向上の両立を図ったと言われます。
 軽三輪トラックに商機があるとみた各メーカーはそれぞれ軽三輪トラックの開発を進めていきます。昭和32年,零細企業や小商店の配達業務向けにダイハツが「ミゼット」を開発して販売,CM戦略(大村崑氏と故佐々十郎氏の生コマーシャルが有名だが,女性タレントが生コマーシャル中セリフが出なくなるという放送事故が起き,急遽大村氏と佐々氏がCMに起用されたのが大ウケしたという逸話がある)が当たって爆発的にヒットします。
 さらにこれを見て昭和34年,3月に愛知機械から「ヂャイアント・コニー」が,5月にマツダからK360が発売されます。また同年,三井精機から「ハンビー」が,そして新三菱から「レオ」という軽三輪トラックがそれぞれ登場したというわけです。

 新三菱の「レオ」は全長2.87メートル,全幅1.28メートル,全高1.52メートルと,先行しているミゼットよりもわずかに寸法が拡大されており,しかもミゼットと違い密閉式のキャビンに丸ハンドルを装備していました。エンジンは大型のみずしま号で手慣れた空冷4サイクルOHV単気筒の310ccエンジンをシート下部に搭載し,ミゼットの2サイクル250ccよりもパワフルな13psという出力を得ていました。しかもクラス初のシンクロメッシュ式トランスミッションも装備し,変速のしやすさも売りにしていたと思われます。「レオ」という名前の通り,手塚治虫さんの「ジャングル大帝レオ」をイメージキャラクターとしていました。

 軽三輪トラックも密閉式キャビンが一般的になるのを見てダイハツも,ミゼットに"MP"型と呼ばれる丸ハンドル・密閉式キャビンを持ち,エンジンもやや大型化したものを追加し,一方従来のドアのない"DK"型はオートバイ並みの価格に値下げして商品の魅力を高めます。
 結果,軽三輪トラックとして成功したのは昭和47年まで生産されたダイハツ・ミゼット,次いで昭和44年まで生産されたマツダK360であり,レオは新三菱の三輪トラックとしてはヒット作であったものの,わずかに2万8千台の売れ行きにとどまったとのことです。
 改めてこれら3車のエンジンを比較すると,ミゼットは空冷2サイクル単気筒をフレーム下(前輪の直後)に搭載,K360は空冷4サイクルOHVのV型2気筒をキャビン直後(荷箱の前)に搭載,レオは空冷4サイクルOHV単気筒を横倒しにした上でシート下に搭載していました。低コストに作られた2サイクルエンジンを開発できたミゼットが値段の安さで人気となり,凝ったメカニズムだがV型2気筒でライバルよりなめらかにエンジンが回るK360がその次の選択肢となり,4サイクル単気筒で若干コストがかかり,しかもエンジンがややスムースネスに欠けるレオは,やはり中途半端な存在になってしまったかも知れません。
 それ以外のメーカーは推して知るべしという状況。しかし,三井精機を除く各メーカーは,軽三輪トラックが売れなくなると分かると,次に軽四輪車というステージに進んでいくことになるのです。

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