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2016年8月20日 (土)

三菱自動車の「軽」を振り返る(2)

 ここで初めてお知らせすることになり大変心苦しいのですが,拙ブログ,しばらく前から「原則月1回更新」と,これまでの方針を大幅に変更させていただいております。
 理由は表の仕事が多忙になってしまったためです。気が向いたら更新頻度を若干上げるかも知れませんが,数年前のように,毎週書くわけにはいかなくなったことを,ご了承いただければと思います(って,そんなに誰も期待していないでしょ…)。

 さて,

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 クルマは,3輪あればとりあえず安定して立っていられる。しかし実際に走ってみると,4輪の方がもっと安定する。というわけかどうかわからないのですが,軽自動車の規格が決まった後,4輪の軽自動車から開発を始めるメーカーも多くありました。

 まず昭和26年に,「オートサンダル」という軽自動車が現れます。2人乗りのクーペのような,手作りと思われるボディの後ろ側に,中日本重工業が作っていた汎用「コミパワー」350ccSV単気筒5psエンジンを搭載し,後輪をなんと,金属製の円盤2枚を直交させ,摩擦力で駆動する(フリクションドライブ)という代物でした。変速の必要がないものの相当な駆動力のロスがあったはずであり,商品以前の有り様だったと言われます。
 その他,「ニッケイ・タロー」とか,車両用シートを製造する今の住江工業が作った「フライング・フェザー」もありましたが,いずれも商業的には失敗に終わっています。

 商業ベースに初めて乗った軽自動車が,織機メーカーから二輪車メーカーへと転身を図った鈴木自動車の「スズライト」でした。西ドイツのコンパクトカー,ロイトをお手本にして,16psの空冷360cc2サイクル2気筒エンジンとFF駆動方式を採用した画期的なものでした。ボディはセダン,ピックアップ,バンを用意していたのですが,販売が伸び悩み,3人乗りのバンだけのラインナップに縮小してしまいます。
 昭和34年には早くも2代目が登場し,ずんぐりしたデザインから少々スマートな形にモデルチェンジを図り,そこでようやく売れ始めます。

 しかし軽4輪車の決定版となったのは,スズライトではなく,昭和33年に富士重工業が開発した,スバル360でした。こちらはシトロエン2CVを理想としたものの,信頼性の高い「等速ジョイント」が作れないからと,スズキのようにFF方式を採用せず,リヤエンジンリヤドライブ方式を採用します。そしてそこから,軽自動車の枠内で大人4人が乗れるボディデザインを完成させ,飛行機作りで実績のあるフル・モノコックボディを採用し,極限までの軽量化を進めました。エンジンは,これまたロイトがお手本となった16psの空冷360cc2サイクル2気筒エンジンを完成させます。スペースを少しでも稼ぐため,10インチのタイヤをブリヂストンに開発させ,これがしばらく軽自動車の標準的なタイヤになりました。
 果たしてスバル360は小さくても,当時としては高性能な軽自動車に仕上がり,当時の経済状況では爆発的な売れ行きというわけではなかったものの,富士重工が自動車メーカーとして認知される重要なモデルとなりました。

 軽3輪を作っていたメーカーはその状況を見ていたのかそれとも三輪からの脱却は急務と考えていたのか,軽4輪車の生産にシフトをし始めます。

 軽3輪のヂャイアント・コニーを作っていた愛知機械は同じ「コニー」の名前をそのまま踏襲し,昭和34年秋に"AF3"という形式の軽4輪トラックを発売します。ボンネットトラックでありながら,独自の空冷水平対向2気筒OHVエンジンをシート下にレイアウトしたミッドシップ・リヤドライブ方式とします。翌年3月にはバンも追加されます。さらに翌昭和36年春には「コニー・グッピー」という200cc空冷2サイクル単気筒の2人乗りコンパクトトラックをリリースし,市場の乗用ニーズを窺います。

 軽3輪ホープスターを作っていたホープ自動車も「ユニカー」というサブネームをつけた,NT型の軽4輪トラックを昭和35年にリリースします。エンジンは独自の空冷2サイクルダブルピストンエンジンで,膨張後の掃気がスムーズなため,単気筒でも15psという出力を得ていました。しかし他社にこのエンジンの生産を委託していた関係で生産が間に合わなくなり,富士自動車製のロータリーディスクバルブ式2サイクルエンジンを搭載したOT型にモデルチェンジします。しかし富士自動車自身もこのエンジンを載せる軽自動車を発表するかしないかという頃であり,耐久性等の実績がほとんどなく,ホープスターOT型を発売すると肝心のロータリーバルブやクランクシャフトに問題が発生したといいます。

 三輪車では有名なメーカーだった東洋工業も軽4輪への進出を図ります。昭和35年にマツダR360クーペを販売開始。三輪トラックK360と同じ空冷360ccV型2気筒OHVエンジンを採用しますが,アルミ合金やマグネシウム合金を導入したことにより16psまでパワーアップされていました。このエンジンを後ろに置いたRR駆動方式となっています。
 懸架方式はトーションラバースプリングを採用した前後とも独立方式なのですが,当初は大人4人が乗れるものを開発していたところ,試験走行中に社長の目の前でタイヤが傾いてしまうトラブルが発生したため,セダン型はあきらめクーペ型とし,後席は子供用と割り切った設計になってしまったのでした(石井誠著「人の想いをかたちに(ガリバープロダクツ)」参照)。価格は安く反響を呼んだのですが,長続きはしませんでした。ただ,オフィス家具の岡村製作所が作ったトルクコンバータを搭載したモデルもあり,こちらは身体障害者用モデルとして長く作られました。
 マツダはその一方で,昭和36年に,ボンネット型の商用車,B360をリリースします。当初はK360やB360と同じ,空冷360ccV型2気筒OHVエンジンを搭載し,フロントエンジンリヤドライブ駆動方式を採用していました。

 ミゼットが好調なダイハツも,昭和35年11月にボンネット型の商用車「ハイゼット」をリリースします。「…ゼット」を揃えてミゼットの姉妹車を強調していました(ただし綴りはミゼットが"midget"なのに対し,ハイゼットは"hijet")が,エンジンはスズキやダイハツにならい,空冷360cc2サイクル2気筒エンジンを開発して搭載しました。

 ここまでざっと振り返ると,昭和36年の時点で,ボンネット型の軽4輪車の開発は,
 ・スズキは,乗用車と商用車が両方作れる車種を開発したが,商用車のみ。
 ・スバルは乗用車専用ボディ(「コマーシャル」と呼ばれる商用仕様もあったが,積載性がよくなかった)。
 ・マツダは乗用車と商用車で別ボディを与えていた(この頃は次世代の乗用車を仕込み中)。
 ・ダイハツは商用車のみ(乗用車は次の世代で登場)。
という状況で,メーカーが狙う目標やメーカーが持つ技術力によって,乗用車・商用車兼用のもの,乗用車専用,商用車専用という作り方をしていたことが分かります。

 さて三菱。当時の新三菱重工は軽3輪レオの後継として,4輪の商用車を開発します。レオの4輪バージョンとして,「レオ4」という名称も考えられていたようですが,前年登場した名古屋生産の乗用車「三菱500」と揃えたかったのか,「三菱360」という名称で,昭和36年4月にリリースされました。

 三菱360はまずバン型で登場し,3輪トラックのレオと併売されます。レオが4サイクル単気筒エンジンだったのに対し,三菱360はスズキやスバル,そしてダイハツも採用した空冷360cc2サイクル2気筒エンジンを採用します。2サイクルは「パンッ,パンッ」という独特の排気音がうるさい上に,バルブがないため混合気の充填効率がよくなく完全燃焼しづらいこと,まだ当時はガソリンとオイルを混合しないといけないなど,手間のかかるものでしたが,そのバルブがないことからまず低コストでエンジンを作れ,同じ回転数なら爆発回数は倍となり4サイクルよりもパワフル(トルクフル)なこと,そして2気筒なら4サイクル単気筒(4サイクル2気筒も含めて)よりもエンジンがなめらかに回る,というメリットがあったのでしょう。エンジンの出力は17psと,ライバルより上回っていました。

 バン型,そして翌年にはトラック型も追加されるため,駆動方式として三菱500のようなRR方式は考えられず,また,FF方式も当時はスズキしか採用例がなく手堅さに欠けるため,オーソドックスなFR方式としたのでしょう。ただ自動車全体としてはFR方式はオーソドックスなのですが,プロペラシャフトを省いて軽量化したい軽自動車にとっては,ハイゼット同様,かなり意欲的な取り組みだったのかも知れません。

 サスペンションは前輪独立懸架ながら横置きリーフサスペンションを採用していましたし,フロントドアも,当時の多くの軽自動車で採用されていたような前開き式のドアでした。ボディは角張ったボクシーなもの。ただリリース当初はボンネットのエッジはそんなに効いておらず,ライバルと比べてそれほど古くさい印象はないように思いました。
 3輪レオに続いてトランスミッションはフルシンクロ式を採用。最高時速は80km/hをマークしていました。

 果たして三菱360は,新三菱が三輪トラック事業をあきらめてもよくなったほどに売れていきました。そして三菱360は,初代ダイハツハイゼットや,マツダのB360のような商用専用設計とは違い,トラックではなくバンから販売開始したことからも分かるように,ゆくゆくはセダンバージョンが追加可能な構造になっていたのだろうと思うのです。その乗用車バージョンは昭和37年に追加されることになったのですが,乗用車化したとたんそのボディデザインは古くさく見えるものとなり,そして高速道路網発達に伴う第1次軽自動車パワーウォーズの波に揉まれてしまうこととなるのでした。

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