2017年8月13日 (日)

三菱自動車の「軽」を振り返る(5)

 久しぶりの「三菱自動車の『軽』を振り返る」シリーズですが,今回はこれまで触れてこなかったあのメーカーの話が中心となります。

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2017年2月18日 (土)

三菱自動車の「軽」を振り返る(4)

 この頃までの軽商用車と言えば,エンジンルームが前についたもの(愛知機械コニーのように,ボンネットがありながらエンジンはシート下にあるものもあった)が当たり前だったのですが,どうしても荷台(荷物室)が狭くなってしまうのが難点でした。

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2016年11月27日 (日)

三菱自動車の「軽」を振り返る(3)

 バン,後にピックアップも追加された三菱360はそこそこ成功し,ついに昭和37年10月,三菱360の乗用車版をつくることになりました。
 新三菱は昭和35年から,軽自動車より少し大きいクラスに,名古屋製作所製の「三菱500」をリリースしていましたが,これがさっぱり人気がなく,マイナーチェンジの上,「コルト600」と,ペットネームを付けて販売されました。ペットネームを付けたからといって,そう簡単に売れ行きが伸びるわけにはいかなかったのですが,水島製作所の新型軽乗用車に「三菱360セダン」などと無粋な名前を付けるわけにもいかなかったでしょう。
 三菱360の乗用車版には,ここで「ミニカ」というペットネームが付けられました。

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2016年8月20日 (土)

三菱自動車の「軽」を振り返る(2)

 ここで初めてお知らせすることになり大変心苦しいのですが,拙ブログ,しばらく前から「原則月1回更新」と,これまでの方針を大幅に変更させていただいております。
 理由は表の仕事が多忙になってしまったためです。気が向いたら更新頻度を若干上げるかも知れませんが,数年前のように,毎週書くわけにはいかなくなったことを,ご了承いただければと思います(って,そんなに誰も期待していないでしょ…)。

 さて,

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 クルマは,3輪あればとりあえず安定して立っていられる。しかし実際に走ってみると,4輪の方がもっと安定する。というわけかどうかわからないのですが,軽自動車の規格が決まった後,4輪の軽自動車から開発を始めるメーカーも多くありました。

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2016年6月26日 (日)

三菱自動車の「軽」を振り返る(1)

 三菱自動車の軽自動車が大変なことになっています。
 しかし,「燃費の偽装」,ということまでは予測できなかったものの,拙ブログでは過去の「くるまねた」記事で何度か,このメーカーの異常さを取り上げており,このメーカーならやりそうなことだなぁ,という感慨しか持ちません。

・燃費がいいからと言って売れるとは限らない…。http://kusup.cocolog-nifty.com/pasores/2013/03/post-4d3f.html
・高性能なラリーカーと,低廉なビジネス仕様しかないクルマ。http://kusup.cocolog-nifty.com/pasores/2012/11/post-cd02.html
・直噴ガソリンエンジンの悲劇http://kusup.cocolog-nifty.com/pasores/2012/07/post-88f2.html
・エリマキトカゲだけヒットするhttp://kusup.cocolog-nifty.com/pasores/2011/06/post-2a16.html
・どうして2ストロークになったのか…。http://kusup.cocolog-nifty.com/pasores/2010/11/2-30aa.html

 燃費問題が未解決のまま,三菱自動車は日産自動車の傘下に入ることになったり,他社でも燃費偽装が明らかとなったりするなど,この問題はまだまだ現在大きく進行中の事案であり,現時点で拙ブログで何かを語る段階ではありません。拙ブログにできることは,だから今三菱自動車製の軽自動車を振り返ることなのではないかと思いました。

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2014年11月16日 (日)

徳大寺有恒さん亡くなる

 ブログを毎週更新する元気が最近なくなったもので,またも2週間放置状態でしたね。

 その間,自動車評論家の徳大寺有恒さんが亡くなる,というニュースが飛び込みました。徳大寺さんはここ数年体調を崩されておられましたので,ついに来るべき日が来たかという印象がありました。ご冥福をお祈りします。

 徳大寺さんが1976年に出し,それから30年近く毎年刊行,その後空白期間があった後,試乗レポートを島下泰久さんに委ねて再刊された「間違いだらけのクルマ選び」は,自動車業界に多大な影響を与えた本となりました。今から50年近く前,ある自動車評論家が,6気筒化された2代目クラウンのレポートを書くのに,当初はツインキャブ仕様の新車を貸してもらう予定だったのが,シングルキャブ仕様のちょっとヤレてしまった社用車が貸し出されてしまうということがありましたが(拙ブログ「たとえ何年先になっても,いつかはクラウン…。」参照),徳大寺さんのおかげで自動車評論家の地位は確実に向上した,と言っても言い過ぎではないでしょう。

 この38年間に,「日本で乗る分には良い日本車」から,「世界的にも通用する日本車」に変わっていったのは,一番には各メーカーの努力が大きいでしょうが,やはり徳大寺さんを始めとする自動車評論家の力も大きかったことでしょう。とはいっても,「『間違いだらけのクルマ選び』という本の影響力は大きいぞ」と各自動車メーカーに認知されるのに4~5年程度,そこから,新しい自動車をリリースするのに4~5年程度かかっていることを考えて,徳大寺さんが「これだ!!」と思ったクルマがリリースされるようになったのはやはり昭和60~62年頃のことになるでしょうか。そう思ってその当時リリースされたクルマを見てみると,

・トヨタの2代目ソアラ
・日産の6代目セドリック・7代目グロリア
・三菱の6代目ギャラン
・マツダの2代目サバンナRX-7
・ホンダの3代目アコード・2代目ビガー
・いすゞの2代目ジェミニ

などどいうあたりの車種は本当によく考えられて作られたものだったように思います。

 ところがその後自動車業界は,あるメーカーがある企画で売れるとそれに他社も追従する,という構図に陥ってしまい,これまでに,クロスカントリー車,高価格車,安全ボディ車,ワンボックス車,低燃費車,…,などと出てきましたっけ。
 また,インターネットの普及により市井の人びとが「自動車評論」をするようになってしまいました。インターネット評論家の「日常生活に基づいた身近な意見」は,自動車を購入する上で大変貴重な意見ではあるのですが,自動車の歴史を勉強した自動車評論家に比べるとどうしてもその場その場の意見でしかなく,そして自動車メーカー自身が,自動車評論家ではなく,市井のネット評論家の意見を参考にするようになってから,どうも各メーカーともクルマ作りに1本筋が通らなくなってしまったのではないかなぁ,と思い始めるようになってしまいました。で,結局どうなったかというと,

・いすゞは乗用車の製造,販売から撤退してしまった。
・マツダはロータリーエンジン車を作らなくなってしまった。
・ホンダはスポーツカー作りをあきらめてしまった(ただし復活予定あり)。
・ダイハツは自社ブランドの登録車作りをほぼあきらめてしまった。
・スバルは軽自動車の製造から撤退してしまった。
・三菱は日本国内での自動車販売をほぼあきらめつつある。
・日産は国内でのセダン型乗用車の販売をほぼあきらめつつある。

といった有り様で,日本の自動車業界で好き勝手できるのはもはやトヨタだけ,という状況となってしまいました。まるで,巨人が一人勝ちしてしまった挙げ句,人気を失ってしまった日本のプロ野球界を思わせるような状況です。

 徳大寺さん亡き後,日本の自動車業界はどうなっていくのでしょうか。少なくとも,「間違いだらけのクルマ選び」の刊行された直後の,まだ各メーカーとも元気があった頃の状況には,もはや戻れないのではないか,という印象があります。

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2012年10月20日 (土)

むやみに大きくすりゃいいってもんじゃない

 初代パッソのCFで予告された通り(!?),2代目ヴィッツは平成17年早々に,新しいプラットフォームにより先代よりやや大型化して登場しました。
 今回のモデルからヨーロッパだけでなくアメリカ市場も狙うことになり,衝突安全性能をさらに向上させたといいます。全長は14cm,ホイールベースは9cm拡大され,全高も2cm高められ,全幅は5ナンバーフルサイズとなりました。

 エンジンは1500と1300の4WD用がトヨタ製の4気筒エンジン,4WD以外の1300がダイハツ製の4気筒エンジン,そして1000ccにはなんと,初代と同じダイハツ製ながら4気筒ではなく,パッソと同じ3気筒のものが搭載されることになったのでした。
 ボディは,ヨーロッパ向けには引き続き3ドアハッチバックも用意されたのですが,国内向けは5ドアハッチバック1本に絞られました。先代のイメージを引き継ぎ全体としては丸っこいイメージは続いているのですが,ところどころにシャープなラインが追加され,先代よりもスポーティなイメージがあります。ただし,先代の特徴だった愛らしさは若干損なわれてしまいました。
 ヴィッツは初代でかなり多くのユーザを獲得しこのクラスの定番的な車種となったため2代目もそれなりに高い人気を保っていたのですが,ややデザインがスポーティに振られてしまったからなのか,先代ほど大人気というわけにはいかなかったように思います。

 なおラジエータグリルの楕円エンブレムがトヨタのTマークからネッツ店専売を表すNマークに変更されました。この2代目ヴィッツが初の装着となり,ネッツ店専売となる車種については順次TマークからNマークのエンブレムに変更されていきました。

 スポーティといえば,グッドルッキングで好評だったはずのミニワゴン,「ファンカーゴ」がなんとここでいきなり終息となり,平成17年秋に後継として「ラクティス」と呼ばれるミニワゴンが登場したのでした。
 前述の通りファンカーゴは決して不人気車ではありませんでした。ただWikipediaによると末期には競合車種が多く販売数が伸び悩んだ,といいます。当時のライバルはといえば,マツダ・デミオは2代目となってミニワゴンながらやや普通のハッチバックに近づいたデザインになってファンカーゴの直接的なライバルではなくなりました。ホンダ・キャパ後継で初代フィットベースのモビリオは7人乗れるのが売りでしたがフィットとは似ても似つかぬ鈍重なデザインであえなく撃沈。すると,ファンカーゴの直接的なライバルになったのは日産の2代目キューブということでしょうか。3代目マーチをベースにし,エッジを丸めた名前の通りの「箱」然としたデザインを持つワゴンで,左右非対称のデザインが特徴的で,スポーティさはなかったのですがこれが若者によく売れたのでした。
 そこでファンカーゴの後継車を作るに当たり,多用途性に加えて「スポーティ」という面を強調することにしたのでしょう。Aピラーをうんと傾けたボディにパドルシフト式のCVTを搭載,1300,1500ながらよく走る,というイメージを打ち出して販売したところ,これが非常によく売れたのでした。

 一方,国内では「プラッツ」と呼ばれたヴィッツの4ドアセダン版も名称変更となり,平成17年秋に「ベルタ」という名前に変わりました。
 全長を15cm拡張してそれまでのプラッツの寸詰まりのイメージから伸びやかなイメージを持つようになりました。ただCFで「美しいセダン」と言っていたのは,やや言い過ぎだったような印象もありました。エンジンは1300ccに加え1000cc3気筒も用意。4ドアセダンの1000cc車は初代パブリカ・スターレット以来(公害対策前)のことでしょうか。パプリカ・スターレットと違いベルタはそれなりに大きいボディなので,1000ccで走るんかいなと余計な心配をしそうになりました。
 ただベルタは,やはりヒット作というわけにはいかず,カローラに一時1300cc車がなくなったこともありどうしても,「お年寄りが乗るクルマ」とか,「会社の名前がドアに書いてあるクルマ」という印象しか残っていないです。

 先代の人気が急激になくなってしまったクルマが2代目istでした。初代istはホンダの初代フィットの登場で初代ヴィッツの人気が少々霞んでいた時に登場し爆発的に売れた車種だったのですが,平成19年夏に登場した2代目は対米輸出を考慮してヴィッツよりも幅広の1725mmという3ナンバーサイズのボディを持つようになってしまったのでした。
 ボディが3ナンバーサイズになったこともあり,エンジンもそれまでの1300をやめて新たに1800を追加,1500と1800の2本立てとして売ることになったのでした。

 その結果,どんなことになったのか。
 istは先代末期からネッツ店の専売車種となったのですが,そのネッツ店では,前年の平成18年秋から2代目istと同じ3ナンバー5ドアハッチバックで,同じ1800と1500のエンジンを持つ,アレックス改め「オーリス」も販売していたのです。
 オーリスとistはボディサイズに若干の違いがあるとはいえ排気量が同じで,同じ3ナンバー。しかしistがヴィッツの変わり形なのに対しオーリスはヨーロッパ市場で本格的に売っていくクルマなので,両車が同じネッツ店に並んでいれば,安直な作りのistよりも本格的なオーリスを選ぶのは当然のことでしょう。
 2代目istに1800がなく1300があれば話は変わっていたかも知れないのですが,istは販売チャンネルを変えない限り売れることはないクルマだったのでしょう。2代目ヴィッツファミリーで唯一モデルチェンジから取り残されたistは,今後どうなっていくのでしょうか。
 もちろん根底には日本人の「3ナンバーアレルギー」もあったのかも知れませんが,トヨタにしては珍しいマーケティングの失敗例でした。

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2012年10月 6日 (土)

昔は渾身の1台だったのだが,名前が変わった今では…。

 人気のヴィッツよりも下の車格とし,「軽自動車では小さすぎるから…」というユーザの取り込みを企画し平成16年夏に登場したのが,ダイハツ・ストーリア/トヨタ・デュエットの後継の初代ダイハツ・ブーンと初代トヨタ・パッソです。
 これらの車種を開発し製造しているのがダイハツなので,本稿ではブーンを先に表記し,パッソを後に記すことにするのですが,後述のとおり企画はトヨタで,これら2車種の販売台数も圧倒的にトヨタの方が多いので,一般には「パッソ/ブーン」という書き方の方が通りがよいかも知れません。
 さらにWikipediaにも記述がある通り,そっくり同じ形をしているのに,この2車種はOEM関係にはなく,ブーンはダイハツの型式呼称,パッソはトヨタの型式呼称を持つというのです。どうしてそのようになっているのか,もはやダイハツとトヨタと国土交通省しかわからないような状況になっています,が,それは本稿で追究すべき問題ではなさそうです。

 ブーン/パッソは,求めやすさや取りまわしのしやすさを求め軽自動車のプラットフォームをもとに開発したとされます。例によってダイハツ側ではあまり宣伝をしなかったのですが,トヨタ側では「プチトヨタ」と称してトヨタ最小の乗用車であることを大々的に宣伝したものでした。
 それまで(もちろん現に販売されているトヨタ車の中で)最小だったのは初代ヴィッツであり,確かに全長は初代ヴィッツの3610mmに対して3600mm(差は1cm!?)なのですが,全高は高いと言われた初代ヴィッツの1500mmに対して1535mm,全幅は初代ヴィッツの1660mmに対し1665mm,車重は初代ヴィッツの810kgに対し900kgと,決してメーカーの言う通り最小と言うわけではありませんでした。
 しかし翌年早々,ヴィッツは2代目となり,全高はともかく全長,全幅は初代パッソよりも大きくなり,ここで名実共に「トヨタ最小プチトヨタ」となったわけです。少々フライング気味の宣伝だったでしょうか。逆に言えば,当時は「プチトヨタ」の宣伝を見て,「次期ヴィッツはやや大きめのボディで登場するのだな」と想像したものでした。

 ボディはリヤがほとんど直立した5ドアハッチバックの1本のみ。エンジンはどちらもダイハツ製の新型で,1000ccはダイハツ伝統の3気筒,1300ccは4気筒と,初代ヴィッツに採用されたものとは違うものが搭載されました。可変バルブタイミング機構を搭載し,出力は71psにまで高められました。
 「ヴィッツの下」という販売戦略が功を奏し,ブーンはともかく,初代パッソは人気車種となりました。
 一応スポーツバージョンも用意され,平成16年末にはパッソ1300に「レーシー」と呼ばれる内外装だけスポーツバージョンとしたモデルが(ダイハツではブーン「カスタム」となる),そして平成18年春には,ブーンに待望の「X4」と呼ばれるモータースポーツ用車種が追加されます。ストーリアにも存在した「X4」のブーン版では,1000cc3気筒のエンジンは使わずに,過給機付きで1600ccのクラスに参戦できるよう,まず1300cc4気筒のエンジンをショートストローク化して936ccとし,そこにターボチャージャーを取り付けて133psの出力を取り出したのです。

 東京はお台場に"MEGA WEB"というトヨタの大きなショールームがあり,何年か前に上はレクサスLSから下はこのパッソまでいろいろなクルマを見て回ったことがあります。で,実はこの"MEGA WEB"には,その当時はダイハツの軽自動車も展示されていたのでした。トヨタのパッソのシートに座ったり,リヤゲートを開けてトランクの中を見た後に,ダイハツの,確かリリースされたばかりの4代目ムーブだったと思うのですが,同じようにシートに座ったりして,「同じダイハツで作っているのにこんなに作りが違うのか!」とびっくりしたことがありました。当然,ムーブの方が高級で,パッソの方が安っぽい,という感じでした。なぜダイハツでブーンが売れないのか,分かったような気がしました。ブーンを買うつもりでダイハツのショールームにやってきて,このムーブの質感を見てしまい,しかもムーブの方が,燃費はともかく税金などの維持費は少ない,と言われたら,「ブーンはやめて,ムーブにしようか」ということになるではないですか。
 実はダイハツでは,豪華になった軽自動車を反省し,装備を極端に抑え価格を安くしてお買い物グルマに徹した「エッセ」というモデルがありました(この後継が低燃費で話題となったミラ・イース)。車格に似合わない有名女優をCFに起用して,気取った女性が安っぽいお買い物グルマに乗る,という逆説的な宣伝が当たり,そこそこ売れた車種でした。このエッセの企画を登録車に持ち込んだのがブーン/パッソだったのか,と思ったものでした。

 いや,普通車ゆえに軽自動車よりも機構的に無理がないからよいのでは,と言われたその「燃費」もどうだったか。私の同僚が軽自動車に代えてこの初代パッソ1000を購入。「燃費はさぞかしよいでしょう」と尋ねたら,それが思ったほどよくなく,通勤経路が全線市街地というハンデはあるのだが,リッター10kmを少し超える程度だとのこと。
 本当にそうなのかと思い,今は「荒らし」で廃止されてしまったcarviewの掲示板を見てみると,「思ったほど燃費がよくない」というスレッドが立っていました。その中で「結構燃費はよい」というコメントを読んでみると,地方の結構条件のよい道路で使っていた,というような実態で,どうもこのブーン/パッソは,市街地で使うとあまり燃費に優れないエンジンが搭載されていたのかも知れません。

 このブーン/パッソをベースに開発されたのがチョイ悪系ミニワゴンの2代目トヨタbBでした。このクルマも複雑な経路をたどっていて,初代は初代ヴィッツをベースにしていました。ところが2代目は国内向けは初代パッソをベースにしたものの,輸出用のサイオンxBは,ボディを大型化するために2代目はオーリスベースとなり,それが国内では3ナンバー化した「カローラ・ルミオン」になったのでした。「動く音楽プレーヤ」と称し,フロントシートを沈み込ませて陰でよからぬことをするための視線を遮りくつろぐための「まったりモード」付きシートが搭載されていたといいます。
 このbBのダイハツ版で,ブーンをベースにしたもの(なぜこのような面倒な書き方をしているかというと,この2車種も型式呼称が別だから)が「クー」と呼ばれ,「まったりモード」付きシートもなく,やや女性向きの仕様になっているのだそうです。さらにこのクーはトヨタの傘下に入った富士重工にもOEM供給され,スバル・デックス(型式呼称はダイハツのもの)として市販されたのですが,2代目ラクティスのOEM版である「トレジア」リリースに伴い先に販売終了されました。

 さらに,このブーンの7人乗り版が,平成20年末登場のブーン・ルミナス/パッソ・セッテでした。これらはブーンをベース(なぜ「パッソ」の記述がないかというと,これは両車ともダイハツの型式呼称が付いていて,パッソ・セッテはブーン・ルミナスのOEMになっているから。ああややこしい)に7人乗り5ドアワゴンとしたもので,エンジンはダイハツ製の1500cc4気筒エンジンが搭載されていました。
 これらは初代ヴィッツベースのシエンタの後継となる予定だったのですが,どういうわけか販売が伸び悩みました。Wikipediaによると,翌平成21年に始まったいわゆるエコカー減税に対応した車種が存在しなかったため,と言われています。またこのクラスでは2代目フィットベースのホンダ・フリードが,値段が高いながらも圧倒的に強力でした。その結果,なんと古いモデルのシエンタが,一時生産中止となったものの復活を遂げて生き残り,ブーン・ルミナスとパッソ・セッテは今年春,ひっそりと製造終了してしまったのでした。

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2012年9月29日 (土)

巨匠墜つ。

 それまでじり貧で,かろうじて初代デミオのヒットでなんとか糊口をしのいでいたマツダの反撃が始まったのは,平成14年春のことでした。
 "Zoom-Zoom"という,新しいキャッチフレーズの下に,まず登場したのが,7代目カペラの後継である初代アテンザ。ヨーロッパ市場を目指したため当時のヨーロッパ車同様の3ナンバークラスの車幅を持つボディとなりました。以前3ナンバー化して失敗した「クロノス」を思い出すのですが日本市場ではともかくアテンザは海外市場でヒットします。
 このアテンザはマツダが独力で開発したものだったのですが,次いで同年夏に登場した2代目デミオでは,ヨーロッパフォードのフィエスタとプラットフォームを共用化した車両となりました。これは国内市場でもそこそこ売れました。
 さらに翌平成15年春,排出ガス対策に適合しないため販売を終了した3代目RX-7の後継となるRX-8をリリース。観音開き式の4ドアを持つロータリーエンジンのクーペで,車両の性格上大ヒットとはいかなくても,好事家向けにはよく売れていたようでした。その一方で,先の「クラウン」の連載で書いた通り,高級車クラスのミレーニアの販売を終息するなど,車種のリストラも進めていました。

 そのような中,"Zoom-Zoom"の第4弾として投入したのが,9代目ファミリア後継の初代アクセラでした。
 アクセラは,全てを自社開発,というわけにはいかず,同じフォードグループの,ヨーロッパフォード・フォーカスや,ボルボのS40/V50とプラットフォームが共用化されています。そういえば,ボルボの初代S40は三菱のカリスマとプラットフォームが共用となっていたので,初代アクセラの先代は三菱カリスマか?とわけの分からないことを当時は考えたりしたことがありました。
 もちろんボディのデザインは各社別々に行われたようで,各車の外観からはこの3車種に共通なものがあまり見いだせません。初代アクセラのボディはスポーティなイメージの4ドアセダンと,「スポーツ」と称する5ドアハッチバックの2種類が用意されました。

 ヨーロッパフォードやボルボと車台を共通化したため,この初代アクセラは,先代のファミリアと違い,「3ナンバー」登録になりました。日本でいう大衆車クラスは,ヨーロッパでいうCセグメントにあたり,この数年前から,4代目フォルクスワーゲン・ゴルフや「Gアス」と呼ばれるオペル・アストラ等が,安全性を高めるため車幅を広げ,順次3ナンバー登録になってしまいました。
 この大衆車クラスで国産車で初めて3ナンバー化したのはトヨタのWill VSでしたが,これは実験的要素が強い車種だったので,ヨーロッパのように大衆車クラスを3ナンバー化してしまったのは事実上アクセラが初めてということになります。これがトヨタや日産だったら,輸出向けには幅広ボディ,国内向けには5ナンバーサイズ,という作り分けもできるのですが,マツダにはそんな器用なことはできなかったのでしょう。そしてマツダといえば,なんといっても「『クロノス』の悲劇」を過去に持つメーカー。確かに先行して3ナンバー車に移行したアテンザは,ビッグヒットとはいかないまでもそこそこ売れていたのですが,果たしてアクセラでもその試みが成功するのかどうなのか,不安な要素がありました。
 エンジンは先代のファミリアにあった1300と1800が落とされ,まず1500,そしてその次はいきなり2000となり,さらにその上になんと本格的に普通車扱いとなる2300ccが用意されたのでした。1500以外は上級のアテンザと変わらないラインナップだったのにも驚きました。

 この初代アクセラが出てすぐの,徳大寺有恒さんの「間違いだらけのクルマ選び」では,(当初)オートマチックが古い4速しか用意されていなかったことを引き合いに出し,当時のマツダが親会社のフォードに開発を制限されている状況だったこともあり,あまりお勧めではないような書き方をしていました。
 ところが初代アクセラは,やはりヨーロッパ市場を主力に置いたクルマ作りをしていることもあり,「国産車とは一味違う乗り味である」という噂が,当時普及していたインターネットを中心に広まっていきました。そのような発言をネット上で見かけたあたりから,この初代アクセラは,爆発的とはいかないまでも,日本国内でじわじわと売れていくクルマになっていったように思います。
 それと同時に,ネット上で,徳大寺さんのアクセラに対する評価は間違っている,という発言も目にするようになりました。徳大寺さんがこれにどう答えるのか,そして自信作となったスズキの2代目スイフト(後述)やメルセデス・ベンツの2代目Aクラスはどう評論するのか,2004年末版の「間違いだらけ…」をずいぶん楽しみにしていたのですがなんとその年は休刊となり,2006年早々に総集編が刊行されたのを最後に,全ページを徳大寺さんが執筆する「間違いだらけ…」は終了してしまうことになったのでした。徳大寺さんも一時体調を崩され,発行元の草思社(決してクルマ本だけを出版している会社ではなかった)も倒産の憂き目にあうことになったのでした。
 何度も言うのですが,この初代アクセラは,日本では爆発的にはヒットしなかった。しかし,このアクセラは,「自動車評論の舞台から,あまたのネットユーザによっていわゆるプロが引きずり下ろされてしまった」という象徴的な出来事を惹起した,ということで記憶されるべき車種になったのでした。

 この初代アクセラも国内はともかく,世界的にはかなりのヒット作となり,発売3年2カ月で生産100万台を達成したそうです(ただ同じWikipediaによると5代目(初代FF)ファミリアは2年1カ月で生産100万台を達成しているようだが)。アテンザともども,日本よりも海外でよく売れるクルマとなっていました。それでこの頃,マツダの復調が新聞記事に載ることが多くなったのですが,日本では爆発的な人気とはならなかったため,「本当にマツダは復調しているのだろうか」と疑問に思うことしばしばでした。

 なお,スポーツ性を高めた車種として平成18年夏,2300ccエンジンを直噴化しターボチャージャーを装着して264psとした「マツダスピード」アクセラを追加します。それに先立つ平成17年早々には初代アクセラベースとなった7人乗りの2代目プレマシーを登場させます。

 大衆車クラスの3ナンバー化は日本でも徐々に進行し,ホンダの8代目シビックやトヨタのオーリスや2代目イスト,スズキのSX4やスバルの3代目インプレッサなどが3ナンバーに移行したのですが,固定ユーザの多いインプレッサはともかく,それ以外の車種は枕を並べて討ち死に,といった状況で,日本人の「日本車の3ナンバー」アレルギーはいまだに続いているのかも知れません。

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2012年9月15日 (土)

トヨタ・マジックはやめました…ほんとに!?

 確か父親は,それまで乗っていた7代目カローラのことを,亡くなった私の母親が乗っていたから,つぶれるまで乗る,と,かねてから言っていたような覚えがあります。7代目カローラは,購入後5年でシートがへたったり,エンジンの音が少しやかましくなったりして,はた目にはずいぶんぼろくなったような印象もあったのですが,母の形見のように思っているから,長く乗るのだろうなと私も思っていたのでした。

 ところが父親は,この7代目カローラを購入して11年後の平成15年に,あっさり9代目カローラに買い替えてしまったのでした。
 義妹が金沢に嫁ぐことになり,その結婚式に義妹とはあまり関係がないであろう私の父親も呼ばれ,結婚式前日にマイクロバスで金沢まで行こうとしているそのときに,新しいカローラのワゴン,フィールダーに乗ってやってきたのでした。
 グレードは1500のX。7代目カローラのSEリミテッドはオートエアコンが付いていたのに対し,このフィールダーXはマニュアルエアコンだったので,グレードはダウンしていたのでしょうが,使いこなせるのかどうかはともかくとして純正のDVDカーナビをオプション装着していました。
 この代のカローラはデザイン的にはものすごくよくなったような印象があったのですが,実際に運転してみるとやっぱりカローラで,特に可もなく不可もなく,これといった特徴を感じることはありませんでした。

 このカローラ・フィールダーは前年の平成14年にマイナーチェンジを受けたモデルであり,平成12年排出ガス基準の25%低減レベルから75%低減レベル,いわゆる「超-低排出ガス」認定に変更されていました。燃費も改善され,父親によると7代目カローラよりも燃費はかなりよくなったとのことでした。
 しかしその反面,大したことではないのですが,ヒーターの効きが悪くなったように思いました。当時私はトラブル続きで1400ccなのに燃費が悪い某車に乗っていたのですが,燃費が悪い反面冬季のヒーターの効きは抜群で,ほんの数百メートル走っただけですぐ温風が出てきていました。
 父親が我々の住む所で前立腺ガンの手術(といっても放射線の出る粒を埋め込むものだったが)を受けることになったのでした。ある年の冬,手術前に我々の住む家を訪れ,カローラ・フィールダーを置いて大学病院に入院したのでした。手術を終えて実家に帰ることになり,父のカローラ・フィールダーに乗って一旦私の仕事場へ,次いで父を迎えに大学病院に行ったのですが,いつも乗っているぼろ車と違い,なかなかヒーターから温風が出てこず,ようやく温風が出たのは,家から2キロほど走った頃だったのでした。燃費のよい車はそういうものなのかと思ったものでした。

 実は父親は,9代目カローラよりも7代目の方がよかったといいます。それはなぜかというと,7代目は作りがよかったのに,9代目は作りが安っぽい,ということだからだそうです。
 確かに,この頃のトヨタはコストダウンが上手になった反面,バブル期のトヨタのような「ぜいたくさ」を演出することが上手ではなかったかも知れません。7代目のカローラにはオートエアコンが付いていたのに,このカローラにはマニュアルエアコンしかついていないから,父親の言うことも一理あるのかなぁ,とそのときは思っていました。

 さて,父親はこの車を購入してすでに9年半が経過し,走行距離もすでに10万キロを超えています。実は先日,父親が肺に膿がたまって入院することになり,2泊3日で実家に帰ったときにこのカローラ・フィールダーを所用で乗り回したのでした。乗り味として特徴がないのは相変わらずです。なんだか全体につくりが小さめになっているのかなという印象もありました。
 しかし,よく考えると父のカローラ・フィールダーは購入以来10年になろうとしているのです。購入後5年の7代目カローラを運転した時に感じた,シートのへたりや,エンジンの騒音が,あまり感じられなかったのにびっくりしたのでした。「トヨタは,ついにあの『トヨタ・マジック』をやめてしまったのか。」そんなことも感じました。

 今思えば,この頃のトヨタは,見かけのぜいたくさよりも,長く使ってもいろいろな部分がヤレないことを中心に据えたクルマ作りをしていたのかなぁ,と思います。10年乗ってもうるさくないエンジン(エンジン音の安っぽさは置いといて),10年乗ってもへたらないシート,そしてなにより,10年乗っても飽きがこないボディスタイル。クルマとしては,この方がはるかにまっとうだと思います。

 ただそれは,従来からのトヨタユーザーには,なかなか受け入れられないものだったのかも知れません。何しろ長く乗ったときの頑丈さは,長く乗ってみないと分からないのですから。それ以前に,「今度のカローラはぜいたくではない」と思われてしまったら,「じゃあ,トヨタじゃなくてもいいか」という話になってしまうではないですか。
 デザインやメカニズムが国際化されたカローラは,残念ながら日本では受け入れられず,これほどの内容を持ちながら,それまで重ねてきた車名別販売台数1位の座を,ホンダフィットに譲ってしまうことになるのでした。

 また,ワゴンのフィールダーとハッチバックのランクス,スプリンター後継のアレックスに用意されたスポーツツインカムは,公害対策の一層の強化に伴い,本系列が最終となってしまい,2代目カローラ・レビンとスプリンター・トレノ以来連綿と続いてきたスポーツモデルはここで終息となってしまいました。

 そういえば,このカローラをベースにしたのが平成15年秋登場の2代目プリウスだったのだそうです。コンパクトだった初代のベースが実は中級車だった5代目ビスタだったのに対し,対米輸出も考慮して3ナンバーサイズに大型化した2代目プリウスのベースが格下のカローラ,というのも面白い話ですが,この代からボディが4ドアセダンから現行プリウスに共通する6ライトの5ドアハッチバックとなり,ハイブリッドシステムも吟味されて,高速域でもモーターがアシストしてパワフルな走りを生み出すというものに変わりました。サイズが3ナンバー,というのはエコカーとしてどうなのか,という疑問はありましたが,実用的になったハイブリッドカー,ということで,だんだん利益を生み出すクルマになっていったようです。

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