« パイオニアBDR-203 ブルーレイだけ使えません… | トップページ | 昭和時代のテレビで地デジを見る方法 »

2011年2月 5日 (土)

巨匠に酷評されたクルマ

 ファミリア・プレストが3代目になったのは昭和48年秋のことでした。メーカーのマツダでは昭和48年に出たモデルを「3代目」と紹介しているのでそれに従うことにするのですが,正直なところ,将来の排出ガス対策関連の機器を収めるためにボディを拡幅しただけのモデルで,これを「3代目」だというのなら,前述の2代目パブリカのビッグマイナーも「3代目」だと言った方がよい,そういう程度のモデルチェンジでした。

 エンジンはここでロータリーエンジンが落とされ,1300ccと1000ccの2本立てとなります。ラインナップは4ドアセダン,2ドアセダンと2ドアのクーペ。それぞれに4つグレードがあり,セダンは1300ccのGLと廉価版のLX,1000ccのDXと「標準車」(なぜか当時のマツダは「スタンダード」のことを漢字で「標準車」と言っていた),クーペは1000ccは同じで,1300ccがGFとFX,という構成になっていました。
 なぜ詳しく知っているかというと,このファミリアプレストが登場した際に父親がカタログをもらって帰ってきたからで,穴があくほどとは言わないけれど,小学生になったばかりの私はずうっと見ていたから覚えていたのでした。それまでも自動車,というのは身近で好きな存在だったのですが,それを決定的にしたのが,おそらくこの3代目ファミリア・プレストのカタログだったのだろうと思います。

 この頃のマツダは,公害対策車に力を入れていて,2代目ファミリアの項で書いた通り,ロータリーエンジンにサーマルリアクターを取り付けたルーチェを発売,いち早く50年規制に適合させていました。当時はバルブシールを保護するため鉛が入っていたガソリンが社会問題となっていて,特に公害対策のひとつである白金を使った酸化触媒車に有鉛ガソリンを入れると触媒を損傷する,ということが言われていました。触媒方式による公害対策を進めていたトヨタや日産が出遅れたのはそのためかも知れません。
 バルブのないロータリーエンジンはそもそも有鉛ガソリンを使う必要がなく,排気温度さえ低くできれば,やや排出濃度が高めの炭化水素だけサーマルリアクターで処理すればよいので,触媒を使う必要がない,ということから,マツダでは早い時期に公害対策車をリリースできたのでしょう。

 ところが,その直後に我々を襲ったのが第1次オイルショックでした。特にマツダは,燃費の悪いロータリーエンジン搭載車をフルラインで用意していたため,その影響をもろに受けてしまったようでした。
 さらに,このファミリアプレストといい,昭和49年に登場した2代目カペラといい,公害対策に追われてボディの開発に余裕がなかったため,古いままのボディで登場してしまうなど,マツダ車の人気が全体に落ちてしまいます。
 オイルショックがひと段落する昭和50年末に,スペシャルティカー,2代目コスモをリリースしてそれが人気となり,マツダはようやく一息つくのですが,その直後である昭和51年早々に,ファミリア・プレストはマイナーチェンジを迎えます。

 それまでマツダ車の公害対策はレシプロ車も含めサーマルリアクター方式が中心だったのですが,このファミリア・プレストと上位のグランドファミリアに搭載されたのは,1300ccの希薄燃焼方式エンジンでした。「スワールポート」というものを取り付け,薄い混合気でもそれによって発生する渦により確実に燃焼できる,という仕組みで,しかしそれだけでは51年規制をクリアできないので,酸化触媒も併用している,という仕組みです。 ただ,それにより自慢の高出力が72psにまでパワーダウンしてしまいました。もちろん,サーマルリアクター方式の三菱ランサー1200(73ps)以外の1200cc車には馬力で勝っていたのですが,なにしろ基本設計が1960年代の重いボディですから,ドライバビリティがそんなにいいはずがない。

 実はこの51年規制対応ファミリア・プレストは父が乗っていました。それまで三菱の2代目ミニカに6年乗っていたのですが,買い換えることになり,後述の4代目ファミリアが出たときに「新古車」として購入したのです。
 ミニカが2ストロークエンジンだったこともあり,ファミリア・プレストの燃費はある程度はましだったらしいです。
 リアサスペンションは,今では乗用車用としては珍しい板バネ方式。トランクの部分をえいやっ,と押し下げると,運動音痴だった小学生の私ですら,ボディを深く沈ませることができました。こんなふわふわなサスペンションでは,バイアスタイヤ装着とあいまって直進安定性が極めて悪いのも当然で,長距離を乗ると疲労がたまる代物だったようです。
 「オートチョーク」というと,普通は,エンジン始動時にアクセルをパタパタと踏み,始動後,エンジンの回転が上がるたびにアクセルを踏んでチョークを戻す,という仕組みなのですが,ファミリアプレストに採用されたそれは,普通にチョークボタンがついていて,チョークを引いてエンジンを始動するけれど,エンジンの回転が上がったまま放置すると,チョークボタンが自動的に「トンッ」と,元に戻るという仕組みになっていました。
 ボディが拡幅されていたことによりその頃小学4年生だった私は,カタログの説明通り,後席に横になって寝ることができました(現在ではチャイルドシート・ジュニアシートの使用が義務付けられています)。しかし,それ以外はいたるところにコストダウンの影響を見る車で,フロントドアとリアドアの閉まる音がかなり違う(リアドアは「ペシャッ」という感じで軽く閉まる)こと,フェンダーミラーが古い丸型のもの,くもりとりのリアデフォッガーこそあるものの,そのスイッチがなんとファンスイッチと共用になっていること,極めつけは,「GL」というセダン最上級のグレードにもかかわらず,なんとフロントブレーキがドラムブレーキだったこと(クーペのGF,FXがディスクブレーキ仕様だった)。そういえばタイヤも,今では軽自動車でも履かない12インチでした(クーペのGF,FXは13インチ)。
 徳大寺有恒さんのベストセラー「間違いだらけのクルマ選び」では最低の評価を受けていましたが,それに乗ったことのある者から言わせていただくと,確かにその通り,と受け入れざるを得ない代物でありました。

 もちろん,さすがのマツダでもこの状況を放置しておくわけにはいかないので,急遽このファミリア・プレストの後継車種を開発することになるのです。

|

« パイオニアBDR-203 ブルーレイだけ使えません… | トップページ | 昭和時代のテレビで地デジを見る方法 »

くるまねた」カテゴリの記事

コメント

ファミリアプレストの場合、51年排ガス規制を機にエンジンにスワールポートなどという吸気の邪魔者が付いてしまい、高回転・高負荷域では抵抗が増えすぎて「72馬力とは名ばかり」の最悪の代物だったことを思い出します。
現に全く同じエンジン、殆ど共通のギアレシオを採用した一回り大きいマツダグランドファミリアの場合、最高速は何と120.60km/h!!!!とミニカ他360cc軽自動車の方が速いんじゃないの?という鈍足ぶりがあるテストで証明されており、実馬力は50馬力内外だったと推定できます。
その後のファミリアAPでは同じ1272cc/72馬力のマツダTC型希薄燃焼エンジンを採用するも、スワールポートが取り払われたためにはるかにスムーズに回るようになり、最高速は133.83~145km/h、ゼロヨンは19.3/19.05secと平均的データとは言え先代のファミリアプレストとは比較にならぬほど軽快に走ったものです。

投稿: 真鍋清 | 2013年4月10日 (水) 17時12分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 巨匠に酷評されたクルマ:

« パイオニアBDR-203 ブルーレイだけ使えません… | トップページ | 昭和時代のテレビで地デジを見る方法 »