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2012年2月18日 (土)

このメーカーから先進的なデザインの車が出なくなったワケ…

 3代目で「オーナーカー」としての需要を開拓したクラウンは,さらにその地位を確かなものにするために昭和46年早々,4代目の投入にあたり,丸みを帯びた「スピンドル・シェイプ」という独特のデザインを与えるという,劇的なモデルチェンジを図ります。
 フロントマスクも,サイドウィンドウも,角張った部分は抑えられ,新しい1970年代を象徴するデザインになっていました。フロントドアの三角窓がなくなったのはもちろん,セダンのリアドアの三角窓までなくしてしまいました。
 ボディは4ドアセダンと2ドアハードトップ,ワゴンのカスタムとバンの4種が用意され,スーパーデラックスの上により高級な「スーパーサルーン」仕様も用意されました。さらに4代目の登場から2カ月後に,3ナンバーの2600cc6気筒エンジン車を投入して,流麗かつ高級なイメージを醸しだしました。

 「クラウンCMコレクション」に収録されている4代目のCFでは「エレガンツ・クラウン」と称して,それまでの山村聰さんをイメージキャラクターから外し,欧米の若い女性がたくさん出てきたり、日本でありながら西欧風の町並みを走る4代目クラウンの姿を映し出したりしていました。「日本も変わったから,クラウンも変わったのだ」と訴えたかったのでしょう。ただ「顔のきれいなクラウン」というコピーは,確かに端正なフロントマスクだとは思うものの,今ではちょっと問題になりそうな印象がありますね。

 ところがこの4代目クラウンの売れ行きが伸びない。もっとも当時のこのクラスの現状は,三菱のデボネアは昭和48年にフロントドアの三角窓が廃止になった程度で大きな変化はなく,格下のトヨタ・コロナマークIIや日産・ローレル,マツダ・ルーチェが昭和47年に相次いでモデルチェンジし,6気筒エンジンやロータリーエンジン車(マツダはこのあとオイルショックの影響で多くの在庫を抱えるのだが,ハイオーナーカーだった2代目ルーチェは,実はそれほど販売台数が落ち込んでいなかったらしい)を追加しているものの,クラウンの売れ行きに影響を与えるものではなかったでしょう。
 クラウンと同じく昭和46年早々に,日産から3代目セドリックと4代目グロリアが登場します。この代からセドリックとグロリアは双子車になりました。セドリック,グロリアはクラウンほど革新的なモデルチェンジではなかったのですが,部分的にコークボトルラインを取り入れるなど流行も取り入れたデザインになっていました。ボディは4ドアセダンと3代目クラウンの人気を見て投入した2ドアハードトップ,さらにワゴン,バンも用意され,エンジンもクラウン同様2600cc6気筒エンジンが後に追加されました。
 クラウンのような前衛的なデザインを持たなかった3代目セドリック,4代目グロリアはかえって法人ユーザの需要をある程度獲得したのですが,オーナードライバーの人気を集めたのが昭和47年に追加した日本初のピラーレス4ドアハードトップでした。これがスポーティかつフォーマルということで人気が高まったのでした。セドリックの新聞広告で,イメージキャラクターに起用された故二谷英明さんが,同窓会でセドリック4ドアハードトップの後席に恩師を招き入れる写真が掲載されたものがあり(沼田亨さんの「新聞広告でたどる60~70年代の日本車」から)ました。3代目クラウンのCFに全く同じシチュエーションのものがあり,トヨタの広報は「うちが最初にやったのに」ときっと臍をかんだことでしょう。

 4代目クラウンは思ったほど売り上げが伸びず,広告戦略は迷走します。「クラウンCMコレクション」には「わんぱくでもいい,たくましく育ってほしい」の故田中浩さんに子だくさんの父親役をさせて「まだ家族が増えるからクラウン」と言わせたり(奥さん役はまだ20代の真屋順子さん),声楽家の故友竹正則さんに「静かだからクラウン」と言わせたりしていたのですが,田中さんは当時37歳,友竹さんは41歳とまだまだ若く,本来の「クラウン」のイメージからはほど遠いものになってしまいました。
 そこで,マイナーチェンジ直前の昭和47年,イメージキャラクターとして山村聰さんを再登板。CMでは,多くの人たちがクラウンでパーティ会場に乗り付ける中,最後に「真打」山村さんがクラウン・セダンに乗って登場,会場に入り画面に向かって「やぁ,クラウンの山村です!」と言います。「どうだ,わしがいないとクラウンはだめだろう!」とでも言いたそうな感じでした。

 翌昭和48年早々にマイナーチェンジ。U字型のバンパーが,それまでのカラードタイプからメッキバンパーに戻されます。セダンにはスポーツ仕様の"SL"グレードも登場していました。トヨタのサイトではなく,個人のサイトにマイナーチェンジ後のクラウンのカタログを掲載しているところがあるのですが,その中にに,山村さんがクラウンの工場見学をし,質問をしている様子が掲載されていました。
 なお「クラウンCMコレクション」にはなぜか収録されなかったのですが,4代目の末期にイメージキャラクターとして吉永小百合さんも加わり,山村さんとの2枚看板になります。YouTubeには,おそらく懐かしのCM特集で流されたであろう,助手席に吉永さんが乗り,山村さんが運転して鼻唄を歌いながらハイウェイを走る4代目クラウンのCMがアップロードされています。このあと吉永さんの登場するCMは多数「…コレクション」に収録されており,肖像権の問題はクリアされているはずなのに,どうして初めて吉永さんが登場したCMが収録されなかったのか,疑問が残ります(また上記YouTubeの映像には「1971年」と放送当時のテロップが入れられているが,CM最後の「ムダ・ムリ・ムラのない運転でガソリンを大切に…」という文から考えると,第1次オイルショック当時の昭和48~49年に流されたものではないか)。

 さて,実は土建業を営む私の伯父がクラウンに乗り換えたのがこの頃でした。田中角栄総理の「日本列島改造論」により当時は建設ラッシュ。伯父のクルマも,三菱コルトから(おそらく,2トンダンプつながりで)マツダのカペラロータリーに,次いで,トヨタの2代目コロナマークIIハードトップの4気筒EFI版に,それも1年ちょっとで乗り捨てて,次に買ったのが,このクラウン2000ハードトップ・スーパーサルーンだったのです。パワーウィンドー(これはマークIIにもあったかも)にリモコンフェンダーミラー,ラジオはFM付きの自動選局式と至れり尽くせりで,当時小学1年だった私はこんなクルマが世の中にあるのかとびっくりしてしまいました。ただエンジンは2000cc6気筒でありながら,マークIIにあったEFI式ではなく,キャブレター式のようでした。トヨタでは伯父の乗っていた2代目マークII・GSLに昭和47年早々,EFIエンジンを投入したのですが,新メカニズムということもあり,まだまだ熟成する必要があることから,クラウンへの採用は当時見送られていたのでしょうか。

 一方私の父親はほぼ同じ頃タクシーの運転手になり,同じクラウンはクラウンでも,4気筒LPGエンジンを搭載したこの4代目クラウンに乗るようになります。雪の積もったある日曜日の朝,夜勤が終わって朝帰ってくるはずの父親がなかなか帰らず,当時は仮住まいで電話を一時預けていたため連絡もできず,心配したことがありました。
 父は昼過ぎ,目尻に傷をつけてようやく帰宅。話によると,夜間に峠越えのお客があり,お客を下ろして再び峠を下る時に溝に脱輪したらしく,そこから脱出する際に顔に傷をつけてしまったとのこと。父親は雪国の出身なのですが,青年期は雪の降らない地域に住んでおり,積雪地を毎日のように自動車で走るのはおそらくこの時が人生初めてで,経験不足な面もあったのでしょう。
 しかし,4代目クラウンが,あの独特な2段構造のフロントマスクを持っていなかったとしたら,ひょっとすると雪の中の脱輪は避けられたのではないか,と今になって思います。クラウンは代々,フロントマスクが厚ぼったい印象があり,2段構造にすることによって厚ぼったい印象が抑えられた,という効果は確かにあったのですが,四隅の見切りは明らかに悪くなったはずであり,これが4代目クラウンの評価を下げるきっかけになったとされます。ただシャーシは依然としてタクシー業界にはうってつけのフレーム構造だったので,この頃のタクシー業界では「クラウンはだめだ」という運転手と,「モノコックボディのセドリックではだめだ」という整備士の間に立たされた購買担当は,ずいぶん悩ましい思いをしていたのではないかなぁ,と察します。

 また,この4代目クラウンといえばどうしてもドラマ「太陽にほえろ」で石原裕次郎さん扮する藤堂係長のクルマ,という印象が強いです。石原裕次郎さんの劇中車といえば一般には,日産ガゼール(シルビアの双子車)特注オープンカーの方が強い印象なのかも知れないのですが,私は「石原裕次郎といえば4代目クラウン・セダン」のイメージの方が強いです。

 世間的には4代目クラウンは「失敗作」とされています。しかし,13代のクラウンをざっとながめてみて,実用的だったかどうかはともかく,実は一番いいデザインだったのはこの4代目だったのではないか,という気がします。トヨタ販売は,手堅い設計のものを手堅く売るのは得意だったようですが,「このデザインがいいんだ」と信念を持って売るのはあまり得意ではなかったかも知れません。もちろん,その後のトヨタの歴史を見る限り,トヨタ式の「手堅い商品を手堅く売る」という方が結局正解だったのですが,この4代目クラウンの一件により,トヨタから独創的で楽しく,面白いクルマが出てくることがなくなってしまったことが,昨今の日本車の危機につながっているのではないかという気がして仕方がありません。

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