三菱自動車の「軽」を振り返る(3)
バン,後にピックアップも追加された三菱360はそこそこ成功し,ついに昭和37年10月,三菱360の乗用車版をつくることになりました。
新三菱は昭和35年から,軽自動車より少し大きいクラスに,名古屋製作所製の「三菱500」をリリースしていましたが,これがさっぱり人気がなく,マイナーチェンジの上,「コルト600」と,ペットネームを付けて販売されました。ペットネームを付けたからといって,そう簡単に売れ行きが伸びるわけにはいかなかったのですが,水島製作所の新型軽乗用車に「三菱360セダン」などと無粋な名前を付けるわけにもいかなかったでしょう。
三菱360の乗用車版には,ここで「ミニカ」というペットネームが付けられました。
ボディの成り立ちをざっくりと説明すると,三菱360バンの荷物室をカットして,ほぼ垂直に立てたリヤウィンドウと,ノッチがきっちりとつけられ,しかもアメリカ車風にテールフィンまで取り付けられたトランクを装備した,3ボックスセダン,という成り立ちでした。
エンジンはすでに三菱360で使われている,ME21(MEとは「水島エンジン」の略)型強制空冷2ストローク直列2気筒17psエンジンで,この時点ではまだガソリンとエンジンオイルを混合して給油するしくみでした。
三菱360がベースなので,国産軽乗用車としては初めての,フロントエンジンリヤドライブ形式でした。
この頃のライバルは,スバル360がリヤエンジンリヤドライブで,空冷2ストローク2気筒エンジンは,16psから18psにパワーアップしていました。
スズキはミニカがリリースされる約半年前に乗用車版のスズライトフロンテをリリースし,唯一のフロントエンジンフロントドライブ方式で,空冷2ストローク2気筒ながら21psを発生するエンジンを搭載していました。
マツダはそれまでのR360クーペに代え,新たにキャロルをメインに据えることになりました。リヤエンジンリヤドライブ方式ながらエンジンに新開発の水冷4ストロークOHV直列4気筒のものを採用し,出力を18psとしました。
ボディスタイルは,スバル360とフロンテが2.5ボックスタイプ,ミニカとキャロルは3ボックススタイルと言えばいいでしょうか。フロンテとミニカは前ボンネットにエンジン,後ろはトランクスペースとなるのですが,スバルとキャロルはボンネットがスペアタイヤ等のスペースで,後ろのトランクにあたる部分はエンジンが納まっているという状況です。
フロンテはエンジン横置きFF方式のため,軽自動車枠という限られたスペースの中で広いスペースを作り出すことができました。スバル360はRR方式であり,後ろにエンジンスペースを設ける必要がありましたが,乗員の足を前輪車軸の部分まで持っていくことが可能であり,ウィンドシールドガラスに乗員の顔が近づくデメリットはありますが,その分後部座席のスペースを稼ぐことができました。
キャロルは立派なトランク,もといエンジンルームのスペースが後ろにあり,スバル360よりは乗員のスペースが狭かったことでしょうが,RR方式のため,やはり乗員の足を前方に持っていくことが可能になりました。リヤウインドウも,いわゆる「クリフカット」形状にして,後ろの乗員をなるべくエンジンルームに近づけてスペースを稼ぐ工夫をしていました。リリース翌年に軽自動車初の4ドア仕様を発売するなど,「後ろにも乗れる」ということを訴求していました。
ライバル達がそういう状況のなかでのミニカセダン。フロントボンネットはきっちりとエンジンのためにスペースを割かれ,リアには立派なトランクが存在し,そしてフロントエンジンリアドライブ方式なので車内にはプロペラシャフトを通すフロアトンネルが縦断しており,車内は決して広々とはしていないことが想像できます。
運転席のドアは前からがばっと開くいわゆる「スーサイド・ドア」。スバル360のような小さい車にとっては乗り降りしやすい,というメリットもありますが,万一走行中にドアが開いたときにますますドアが開いてしまうような印象があり,何より見た目が奇異な印象があるので,フロンテやキャロルには採用されませんでした。
そしてそのデザインは,曲線を多く取り入れた三菱500の失敗もあってか,箱を3つ並べたカクカクしたデザインで,初期型ではまだヘッドライト・ラジエータグリルが長丸型で愛嬌があったものの,昭和39年の中期型以降,そのフロントのデザインも角張ったものとなりました。実のところ,昭和41年生まれの私はミニカの最初期型を見たことがなく,中期型以降しか知りません。その中期型の印象で話をすると,クルマのことをよく知らない幼児期の頃から,初代ミニカのことを「あのクルマは古くさいクルマだ」と思っていたものでした。3代目トヨペット・コロナにも同じ印象を感じるのですが,3代目コロナと初代ミニカは,なんだか,昔のサラリーマン風お父さんがかぶる帽子がそのまま道路を走っているように見えたのですね。
その中期型でエンジンは混合給油からガソリンと2ストオイルの分離給油方式を採用し,合わせて排気の吹き返しを防ぐリードバルブを採用して吸気効率を高め,出力がようやく18psになりました。昭和42年にはラジエータグリルにプラスチックを多用してお面を近代化し,エンジンを21psにパワーアップ,そして翌昭和43年に,ヒーターの効きがよい水冷23psエンジン仕様を追加しています。
遅れて軽乗用車市場に参入したダイハツは,昭和41年にフェローを発売します。先行するミニカと同様の3ボックスボディ・2サイクルエンジン・FR駆動方式で登場するのですが,当初から水冷エンジンを搭載し,23psを発生させていました。しかもダイハツ乗用車として初めて4輪独立懸架を採用していたこともミニカに対するアドバンテージでした。フェローには2ドアセダンの他に,ボンネットバンや,キャブオーバー式となったハイゼットから移行したピックアップも用意されていました。
一方で愛知機械のように,軽乗用車市場を窺いながら断念したメーカーもあります。すでにボンネット型のトラックやバンのラインナップがあるコニーに,360コーチと呼ばれる車種を追加します。モノコックボディにお得意の水平対向エンジンをリアに積み,4輪独立懸架とした2ドアセダンをモーターショーに出展したのですが,当初はミニカのように,まずは手堅い商用のバンから売り出します。しかし愛知機械自身の財務の問題や,品質の問題,そしてリアエンジン式のバンだと荷物室の確保が難しい(後のスバル360カスタムのように成功した例もある)という点で,コニー360コーチ自体が製造中止となってしまったのでした。
このように各メーカーが自分たちの持っているリソースを生かしながら軽乗用車の開発を進めていったのですが,昭和42年に入ると,この軽乗用車業界を激震が襲うことになるのです。
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