三菱自動車の「軽」を振り返る(4)
この頃までの軽商用車と言えば,エンジンルームが前についたもの(愛知機械コニーのように,ボンネットがありながらエンジンはシート下にあるものもあった)が当たり前だったのですが,どうしても荷台(荷物室)が狭くなってしまうのが難点でした。
広い荷台を得るためにキャブオーバー形の軽トラックを開発する動きがちらほら見られるようになります。最近では農業用のかっこいいトラクタを作るヤンマーも,昭和32年ごろは汎用ディーゼルエンジン(ベルトで出力を取り出して脱穀機等の動力源として使えるようにした)をリアに積んだキャブオーバー軽トラックを試作(後に9psのディーゼルエンジンを積んだ「ポニー」が売り出される)します。
そのヤンマーのトラックと同じ設計者(オオタ自動車創立者の三男)が三輪トラックメーカーのくろがねで開発し,昭和35年に売り出したのが「ベビー」というキャブオーバー形軽商用車でした。水冷4サイクルOHV2気筒エンジンは,ショートストローク設計で,スバル360よりもパワフルな18psを発生。このエンジンをヤンマー同様荷台後ろに積み,リアエンジンリアドライブとしました。そしてサスペンションも4輪独立懸架を採用し,ボディも,トラック以外にも5ドアのバンを用意(トラックには,厳密には幌なしと幌付きが,幌付きモデルには荷台に座席を装備したものの3タイプがあった)していました。
当初はそれなりに売れていたものの,完成度はあまり高くなく,現在webでこのクルマについて書かれた記事を見ると,エンジンの出力不足のため急坂が登れず,やむなくバックギアで登り切った,という話も見られます。
そのくろがねベビーと同じレイアウトを持つのが,翌昭和36年に発売開始となったスバル・サンバーでした。ベビーと同じリアエンジンリアドライブ,ベビーと同じ4輪独立懸架方式で,エンジンはベビーと違いスバル360譲りの空冷2サイクル2気筒エンジンでしたが,出力はベビーと同じ18psに向上していました。
その開発はおそらくスバル360のように徹底的に走り込みを行ったことでしょう。サンバーの完成度は高く,独特のスバルクッションのおかげで「荷痛みしない」という定評も生みました。
私がこの初代サンバーを見たのは小学校1年生の時で,この時サンバーは水冷化された3代目になっていました。2代目サンバーはおなじみ(後述)だったのですが,2代目に似ているようで似ていない初代サンバーは奇異な印象があり,しかもナンバープレートが(当時兵庫県に住んでいたので)よく見かける「6神戸」ナンバーではなく(ここも説明が必要か? 当時軽4輪商用車の分類番号は「6」だった。ちなみに軽三輪車は「3」,軽4輪乗用車は「8」,軽の特殊用途自動車は「0」だった)「6兵」で始まるナンバーで,しかも個別番号にハイフンがないものだったので,なんだか見てはいけないものを見てしまったような恐怖感を感じたものでした。
先行したベビーは,特にくろがねが西日本で販路が広くなかったことも災いし,サンバー登場翌年の昭和37年に倒産,日産の商業車エンジン製造を請け負うようになり,昭和45年に日産の子会社「日産工機」となり,昭和56年に名機FJ20の製造を開始することとなるのです。
一方スバルは,フレーム構造だったサンバーの下回りを活かして,そこにスバル360のバンボディを架装し,不評だった「コマーシャル」の後継として「カスタム」と名付けて売り出しました。
サンバーの人気を見て,軽自動車を製造する各社もそれに追従します。
サンバーと同じ昭和36年,富士自動車という会社から「ガスデン・ミニバン」という軽キャブオーバーバンの試作車が発表されます。卵形の独創的なデザインでしたが,懸架方式は4輪リジッドで,ベビーやサンバーとは違い,シート下にエンジンを置いて後輪を駆動する方式としました。
エンジンは独特なロータリーバルブ式空冷2サイクル2気筒エンジンを採用し,17psを発生させていました。しかしこのガスデン・ミニバンは諸般の事情で市販に至ることができませんでした。自慢のロータリーバルブエンジンはホープ自動車の軽トラックで使われることになり,ホープ自動車でもキャブオーバー形のトラック,OV形をリリースしたのですが,以前にも書いた通り肝心のロータリーバルブの耐久性が低くクレーム対策に追われ,昭和40年に自動車ビジネスから撤退,長らくアミューズメント機器の製造販売を行っていたのですが,それもつい先日,平成28年11月に業務を停止したとのことでした。
同じく昭和36年にスズキからリリースされたキャリイは,開発期間わずか1年で急造されたといいます。なんとサスペンションは前後ともリジッド。エンジンはバイク用の2サイクル空冷エンジンを2つつなげたような構造で,従ってツインキャブ構成となったことにより当時としては高出力だった21psをマーク,ボンネットが飛び出しているもののエンジン配置と駆動方式はガスデン・ミニバンと同じという,いわゆるセミキャブオーバー形としました。キャリイの製造工場も低予算で建設し,30万円を切る価格で売り出されたキャリイは,スズキとして初めて人気を集めた軽4輪車となりました。
キャリイは昭和40年にセミキャブオーバー形のままモデルチェンジし,翌昭和41年に,ようやくキャブオーバー形のものを追加します。
昭和39年,ダイハツの4輪トラックハイゼットにキャブオーバータイプを追加し,「ハイゼットキャブ」として売り出します。ボンネット形を初代,このキャブオーバー形を2代目と説明するサイトもあるようですが,この2代目ハイゼットはなんだか吉本新喜劇の故原哲男さんのような顔をしているなと,子供の頃に思ったものでした。
エンジンは当初空冷2サイクル2気筒エンジンを搭載し,昭和41年に水冷化されました。ハイゼットキャブもシート下にエンジンを置き後輪を駆動,後輪はリジッドでしたがキャリイと違い前輪は独立懸架としました。
昭和40年には,愛知機械の「コニー」もキャブオーバー形が追加されます。独自の空冷水平対向4サイクルOHVエンジンを荷台下に置くミッドシップレイアウトとし,当初はトラックが登場,後にバンが追加されます。変速機が後にフルシンクロ化され,「4速フルシンクロ」と大書されたシールがリアに貼られていたのを覚えています。ハイゼットが原哲男さんなら,コニーは故大坂志郎さんのような顔つきだなと思ったこともありました。
愛知機械は日産の傘下に入り,コニーの販売店で日産の商用車が売られるなどてこ入れも行われたのですが販売は伸びず,自社ブランドの自動車製造は終了し,工場ではサニー/チェリーコーチの製造が始まり,販売店は新しく日産チェリー店に衣替えされます。大規模な日産チェリーの店舗はその後日産プリンス店に組み込まれたものがあり,webにアップされているコニーのカタログに印刷された販売店の電話番号を検索すると,今の日産プリンスのお店にたどりつく例があります。
すっかり忘れていました。三菱の軽自動車の話でしたね。三菱のキャブオーバー形軽商用車は「ミニキャブ」と名付けられ,昭和41年夏にリリースされました。
エンジンはミニカに搭載されていた空冷2サイクル直列2気筒ME24形を21psと高出力化したME24D形が搭載されました。チェンジレバーはコラム式で,すでに4段変速でした。
のちにバンが追加され,ミニカが初代から2代目(後述)に代替わりするのに合わせてエンジンも高出力化します。
デザインはハイゼットキャブやコニーワイドほどではないものの,当時の三菱らしいというか,ミニカ同様,垢抜けず田舎臭い印象が,子供だった当時でも感じられました。
この初代ミニキャブですが,昭和46年にはトラックが順当にモデルチェンジを受けるものの,なぜかバンの方は初代がマイナーチェンジの上継続生産され,初代ミニキャブが販売終息したのは新規格の軽に代替わりする昭和51年のことでした。
このころのマツダはファミリア,そしてルーチェの開発,そしてロータリーエンジンの開発に忙しく,キャブオーバー形の軽商用車をリリースするのはもう少し後の話となります。
この時点で,お気づきかとは思うのですがある1社の動向が書かれていません。その,あえて登場させていない1社の動向が,狭い軽自動車の市場を大きく攪乱させていくことになるのです。
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