本日をもって平成も終わり! 拙ブログ平成ランキング(その4)
平成2年3月に,今の@niftyの前身であるNIFTY-Serveに加入したので,丸29年が経過したことになります。「パソコン通信というものがある」と教わったのは,OASYS30AXを購入した販社さん(当地で有名な船のスクリューを作っている会社の子会社)からで,平成元年の年末には1200bpsのモデムも購入していたので,私の平成の世はパソコン通信,そしてインターネットに明け暮れた,と言っても言い過ぎではないかも知れません。
拙web「ぱそこんぼらぼら」は2000年11月に開設したので18年半をもうすぐ迎えます。しかしパソコン・ワープロと通信状況については平成元年の内容から網羅しており,これを見れば私の平成ICT史が分かるようになっていますので,あえてここに書き並べることもありますまい。しかしその間30年。ほんとうにいろいろなハードウェアやソフトウェア,種々のサービスが私の目の前にやってきて,また通りすぎていったのでした。
平成元年からさらに30年前を振り返ってみる(私は生まれていないから本当は振り返りようがない)と,そもそも電話がどの家庭にもあるわけではない,白黒テレビの普及はようやく始まり,コンピュータらしきものが大企業でちらほら導入が始まりかけた,といった状況だったでしょう。
そして今度は平成31年の今から30年後を想像してみるのですが,昭和34年→平成元年→平成31年の進化の様子を考えると,絶対現時点では想像がつかないものが多数登場しているような気がします。今の(携帯)電話やパソコン,タブレット,デジタルテレビのようなものは,その時点でもはや時代遅れになっていて,省みられることもないような代物になっているかも知れない。
まぁあと30年生きているとは思えないのでやっぱり30年後も想像しようがないというのが本音です(爆)。次の時代に入ると,もう拙web/ブログも先が見えてしまっていつ終了してもおかしくないような状況になると思います。まぁそれでも,今しばらくはぼらぼらと身の回りのICT事情をお届けできるかと思いますので,どうか生暖かい目で見守っていただければと思います。引き続きよろしくお願いいたします。
というわけで平成ランキングの最終日はいよいよ1位の発表となります。すでにこの1位記事は今年に入りアクセス数が急減し,あれほど人気を集めた記事なのに,来年以降削除(本体webへの移管)の危機を迎えている記事だったりします。なおアクセス数は2019(平成31)年4月29日現在のものです。
1位 さらばフレッツ光プレミアム,ようこそフレッツ光ネクスト隼。(2014(平成26)年12月8日) 21989アクセス
NTT西日本のフレッツ光プレミアムは2019(平成31)年1月31日に終了しました。
拙web/ブログでは何度もパソコン通信/インターネットアクセス回線のことについて取り上げているので,食傷ぎみだろうとは思いますが,改めてまとめてみるとこのようになります。
・1989(平成元)年3月 アナログ電話回線架設
・1990(平成2)年3月 1200bpsモデム(実際の購入は前年12月)
・1991(平成3)年5月 2400bpsモデム
・1993(平成5)年9月 14400bpsモデム(1995年3月まで9600bpsで運用)
・1996(平成8)年5月 28800bpsモデム(夏にアップデートで33600bpsに)
・1997(平成9)年8月 64KビットISDN回線架設
・2000(平成12)年8月 常時接続(フレッツISDN)に移行
・2001(平成13)年8月 アナログ電話回線に戻し1.5MビットのフレッツADSLを導入
・2002(平成14)年3月 8MビットのフレッツADSLに変更
・2003(平成15)年10月 12MビットのフレッツADSLモアに変更
・2006(平成18)年11月 アナログ電話回線を解約し100Mビットのフレッツ光プレミアムを導入
・2014(平成26)年12月 1Gビットのフレッツ光ネクスト隼に変更(現在は転用してドコモ光)
で,今に至っています。
夢のようだった光通信は1980年代後半から拠点間で使われたり,全国の都道府県庁所在地を結んだりするようになったりし,2001(平成13)年以降"FTTH"と称して家庭にも入ってくるようになりました。うちは新居の工事を伴ったため導入が2006(平成18)年と遅れたのですが,インターネットなんかやらない実家でも,ケーブルテレビ回線の更新に合わせて2012(平成22)年頃には光ファイバーが入ってくるなど,実際には光ファイバーによる通信はかなり普及しているといってもいいでしょう。
その一方で,あれは時代の徒花だったのか,と思うのがISDN。うちは1997(平成9)年に導入し2001(平成13)年にもとのアナログ電話回線に戻しました。結局,たった4年しかISDNを使用しませんでした。
昭和時代である1984(昭和59)年,東京都下の一部地域で実験が開始されたINS(高度情報通信システム)は,通常の電話や高速化したFAXの利用だけでなく,同年アナログ電話回線でもサービスが開始される「キャプテンシステム」がより高速に利用でき,さらにテレビ電話等も可能になる,という触れ込みでした。当時TBS系で日曜に放送されていたアニメ「ミームいろいろ夢の旅」は,当時の電電公社が提供していたこともあり,このINSをよく取り上げていて,当時おばかな高校生だった私は高度情報通信で豊かになる日本の姿を無批判に夢見るのでありました。
「INSネット」と称してISDNの商用サービスが始まったのが1988(昭和63)年のこと。しかしその前段階であるアナログ回線の「キャプテンシステム」ですら導入できない,就職が決まらなかった大学生である私にとっては,そんな話は知る由もありませんでした。
パソコン通信をやりはじめた1990(平成2)年当時は,個人間のコミュニケーションツールとしてはあまり使わなかった(そうなるのは3年後)ものの,「キャプテンシステム」で使用可能とされた通信販売や,新聞記事データベースの検索などができるようになっており,「ミームいろいろ夢の旅」で紹介されたような形とはずいぶん違っていたものの,あの番組で言っていたことはずいぶん実現できたのかなぁ,と思ったものでした。
ISDNをうちでも導入したのが1997(平成9)年でしたので,ISDN商用サービス開始から9年後,INS実験開始から13年後のことでしたね。私がインターネットなるものを使い始めてから2年後のことであり,インターネット利用時の高速化を期待したところもありますが,家内が電話を使っているとインターネットが使えない,というのが一番の理由だったかも知れません(と思ったが,その時家内は切迫流産の恐れがあるためずうっと入院していたはずで,結婚したばかりだというのに独身のアディショナルタイムを謳歌していたのが実情だった)。
64Mビットの回線が2回線分使え,2つ束ねるとテレビ電話ができると言われていましたが,その時点ではテレビ電話を使うことはありませんでした。
やっと「ミームいろいろ夢の旅」で言われていたことが実現したかと思ったら,ADSLの出現でデジタル回線からアナログ回線に逆戻り,というのは,一体どうしたことなのか,と思ったものでした。
平成が終わる今,すでにISDNは過去のものとなっており,2024年の固定電話網のIP網移行に伴い,ISDNのデジタル通信モード終了が決まっています。今後は極端なことを言えば1本の回線で2回線分アナログ電話が使える,というメリットしか残らないらしいです。
近年の無線技術の進展を考えると,これも前にブログに書いたような気がするのですが,有線でデータをやりとりする時代は平成で終わりとなり,次の時代は,無線の回線を使った方が早くて安くて便利,というようになるのかも知れないですね。
| 固定リンク
「ごあんない」カテゴリの記事
- "kusup.com",現在使えない状況です。(2024.04.07)
- 謹啓新年 2024年(2024.01.02)
- 本当のことを言わないと忖度しないぞ!…2023年総決算(4)(2023.12.31)
- 本当のことを言わないと忖度しないぞ!…2023年総懺悔(3)(2023.12.29)
- 本当のことを言わないと忖度しないぞ!…2023年総懺悔(2)(2023.12.28)
コメント