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2019年4月29日 (月)

時代を代表する記事は何か? 拙ブログ平成ランキング(その3)

 「昭和の日」にお届けする平成ランキングの3日目。今回は5位から2位の発表です。アクセス数は2019(平成31)年4月28日現在のものです。

5位 バッファローDH-KONE/U2VをWindows8にインストールする方法(2012(平成24)年9月3日) 12083アクセス

 昭和時代に生まれたテレビは今回退位される天皇陛下が皇太子時代に結婚するにあたり急速に普及し,白黒画面だったものがカラーに,VHF6チャンネルで放送されていたものが12チャンネルに拡大,さらにUHF帯の使用,次いで音声多重放送,文字多重放送の導入が行われ,衛星放送の本放送開始直前,というところで昭和が終わりました。
 平成時代に入り,クリアビジョン放送の導入,(アナログ)データ放送の開始(ADAMS(テレビ朝日系)とかデータパレード(TBS系)などがありました),民放衛星放送と(アナログ)ハイビジョン試験放送の開始が当初のトピックだったでしょうか。
 しかし,平成時代の,テレビにとっての一大事件はなんと言っても「デジタル化」に尽きるでしょう。とにかく,送り出し側も受け手側も,それまで所有している機器を総入れ替えで対応しなければならなかったのでした。
 まずは衛星放送が平成12年にデジタル化。そして同時に衛星放送に民放が多数参入,さらに衛星デジタルテレビは東経110度のCS放送を受信する機能も併せ持つため,一気に多局化が図られることになりました。
 地上デジタル放送も3年後の平成15年から開始。普及にはまずアナログUHF波の再整備が必要だったため,当初は東京でもかなり狭いエリアからの開始だったし,瀬戸内海を電波が飛び交う岡山・香川地区ではさらに3年後の平成18年からの開始となり,全国で一番遅いスタートになってしまいました。我が家ではその平成18年,家を新築した関係でどうしてもテレビ東京系の局の受信状況が悪くなったため,デジタルチューナーを購入し,ハイビジョン対応している東芝のプログレッシブテレビに接続して視聴したのが始まりです。
 アナログテレビの強制終了が平成21年夏のこと(東日本大震災の影響で東北3県のみ平成22年まで延期)。テレビの買い換えやチューナーの追加など,狂騒曲とも言えるような状態となったものの,いつしかテレビのデジタル化は完了してしまったのでした。
 その結果どうなったのか。テレビ製造メーカーは軒並み大きな痛手を負うことになり,テレビ局はかさむ経費を番組のバラエティ化という方法でコストカットすることになり,我々視聴者は高速化したインターネットで配信される動画を見る時間が増えた,という,一体誰が得をしたのかよく分からない状況に陥ってしまったのでした。
 デジタルテレビの導入により,移動体の小さな画面でも利用しやすい「ワンセグ」という簡易なデジタルテレビ放送も始まり,パソコンで見るために記事で取り上げたようなワンセグチューナーも多数登場しました。しかしこの手の市場も今ではかなり縮小しているのが現状です。

4位 Windows7上でUSB2-SC2接続のGT-7000Sが使えた!(2009(平成21)年7月12日) 12105アクセス

 日本の家庭で本格的にパーソナル・コンピュータが普及したのが平成時代,といっても言い過ぎではないでしょう。昭和の末期にキット形のコンピュータ,次いで8ビットのパソコン,16ビットのパソコンが作られていきましたが,まだまだ一般的ではありませんでした。
 平成直前にNECがPC-9801RAを,平成に入ってすぐ富士通がFM TOWNSをリリース,このあたりが,職場にも,家庭にも,パソコンが導入されていく先駆けになったのだろうかと思います。
 パソコン本体の話は次の項目に譲るとし,ここではパソコンを使う上で欠かせない周辺機器についてまとめてみましょうか。本記事で取り上げたエプソンのGT-7000SはSCSI接続のスキャナでしたが,この"SCSI"という規格が,ハードディスクでも,スキャナでもなんでもつなげられ,しかもPC-9801でも,AT互換機でも,Macでも使えるというまさしく万能な規格だったように思います。
 当初のPC-9801機ではハードディスク内蔵モデルというのは非常に高価だったので,SCSIボードを増設してサードパーティ製のハードディスクを外付けする,というのが一般的でした(PC-98系マシンでハードディスク内蔵のものが選ばれるようになったのはWindows95以降のことでしょうか)。SCSIは数珠つなぎに機器を接続することができるので,イメージスキャナをつなぎ,MOドライブをつなぎ,CD-ROMドライブをつなぐ,なんてことができました。
 SCSI機器は高速化したUSB2端子に取って代わられてしまい,今のSATAやUSBはSCSIコマンドを利用しているとはいうものの,SCSIボードを今のWindows10で使うのは,不可能ではないかもしれないが難しい,という状況です。
 SCSIのような,消えてしまったパソコン周辺機器の規格は他にあるのか。PC-9800系の端子類は確かにPC-9800系マシンの終焉により過去のものになってしまったので,それを除くと,ハードディスクや光学ドライブの接続用に使ったパラレルATA端子がまず思い浮かびます。通信用のモデムも使わなくなったのでシリアル端子がなくなり,プリンタもUSBやネットワーク端子を使うようになったのでパラレル端子がなくなってしまいました。
 近々なくなりそうな感じがするのがIEEE1394端子。DV規格カムコーダの普及により,パソコンでのビデオ編集のため平成中期にはなくてはならない端子だったはずなのに,ホームビデオはいつの間にかハードディスクやフラッシュメモリに保存するようになったため,ビデオデータのやりとりはUSB端子があればよい,という状況になってしまったため,IEEE1394端子は今や風前の灯火と化しています。
 なくなるようで意外となくならないのがVGA端子。VGAは著作権保護された映像を流すことができないため,グラフィックスカードに搭載されないケースが多くなっているのですが,プレゼンテーションに使うプロジェクターには,いまだにVGA端子を搭載しているものが多く,ノートパソコンにもこれらのプロジェクターに接続するためのVGA端子を持つものが多数あるため,なくなるようでなくならない,というのが現状かも知れません。むしろDVI端子の方が先になくなってしまいそうな勢いです。
 周辺機器そのものも,ブラウン管モニターはすでにこの世から消え去ってしまい,あれだけいろいろなオフィスで当たり前に使われていたドットインパクトプリンタも見当たらなくなってしまいました。

3位 Windows8のダウンロード販売は一筋縄では行かなさそうだ。(2012(平成24)年10月26日) 12358アクセス(過去ログ収容)
 Windowsは昭和時代末期からありました。もっとも別項で紹介の通りWindows2.0までは一般的な代物ではなく,「そういうものがある」と認知され始めたのはWindows3.0からではないでしょうか。
 従って平成最初の頃はMS-DOS3.3,いや下手をしたら,ソフトにバンドルされていたMS-DOS2.11のほうが一般的だったかも知れません。NECのPC-9800シリーズとて,ほとんどの機種がOS別売りとなっていました。そもそもハードディスクも高価だったので,PC-9801パソコンを購入しても運用はフロッピー,という人も多かったのではないでしょうか。
 日本に黒船のようにやってきたDOS/Vパソコン。OSレスで販売される機種もあるにはあったのですが,MS-DOS 5.0/Vがプレインストールされている例の方が多かったように思います。やがてWindows3.1がリリースされると,DOS/Vパソコンの多くがWindowsプレインストールモデルとなり,PC-9800系マシンもMS-DOS(5.0/6.2)とWindows3.1がプレインストールされているモデルが徐々に一般的になります。
 狂乱的な人気となりようやく一般の人もパソコンを使うようになったWindows95。しかし実際には,パッケージを使ってWindows3.1からアップグレードする人はそんなに多くなかったのではないかなぁ,という気がします。実際にはプレインストールモデルを購入して使い始めた人が多かったでしょう。しかしこの頃,今と比べればまだまだパソコンは高価な代物でした。パソコンの値段が安くなり始め,当たり前になってきたのは,PC-9800というローカルなマシンがなくなり,Windows98からWindows Meに移り変わっていった平成中期の頃ではなかったかと思います。もっともWindows Meの頃はWindowsもでき損ないかと思えば,肝心のマシンの方も粗製濫造気味のところがあり,あの頃のマシンで長く使えるものはなかったように思います。
 21世紀に入りWindowsXPのリリースでようやく「使える」パソコンになったような印象があります。ところが次のWindows Vistaでは性能の低いパソコンでの動作が緩慢になってしまい,当時登場した小型低価格の「ネットブック」では古いWindowsXPを供給せざるを得ませんでした。Windows7になりようやく完成したかと思われたのですが,スマートホンやタブレットの登場により,一転マイクロソフトは追われる側に立つことになりました。
 Windows8はそういう最中に登場します。かなりタブレットを意識したつくりになっていましたが,スタートメニューの廃止や,マウスだと使いにくい操作体系が影響し,失敗作のWindowsのひとつになってしまいました。本記事は導入の様子をまとめているのですが,Windows7の頃と違い,インストール用のisoファイルをすぐにダウンロードさせてくれない仕様にあきれているようでした。その後のWindows8.1へのマイナーバージョンアップも,Windowsストアからしか行えず,難儀した覚えがあります。
 そして今はWindows10。マイクロソフトは依然として大企業ではあるのですが,今やGoogle,Amazon,Facebook,Appleに比べるとその扱いは少し小さくなったような気もします。

2位 直噴ガソリンエンジンの悲劇(2012(平成24)年7月28日) 14554アクセス
 平成時代は,三菱自動車が頂点に達し,そしてその後転落してしまうという,この会社にとってはまさに劇的な時代になりました。
 三菱自動車が急拡大するきっかけとなったのは,なんといっても平成2年のディアマンテのリリースでしょう。デザインの基本になったのは昭和62年リリースの6代目ギャランで,Wikipediaによるともともとは5代目ギャランシグマをリファインしたデザインだったところを急遽マッシブなデザインに変更したといいます。このデザインを元にしてほぼ同時期に登場した3代目ミラージュ,平成元年登場の6代目ミニカが続き,ディアマンテのリリースに至ります。
 平成元年の消費税導入に伴い自動車の税制が,純粋に排気量で課税されることと,2000ccを超える3ナンバー車が大幅に減税されるように変わったため,いち早く新税制に対応させて登場したのでした。マークIIやローレル,ルーチェに,登場したばかりのアコード・インスパイアがディアマンテと同クラスでしたがいずれも5ナンバー対応のナローボディであり,ディアマンテは本当に驚くほどよく売れたものでした。
 次いで平成3年登場の2代目パジェロ。RVブームに入っていたことと,2代目になり質感も大幅に向上させたこともあり,これまた非常によく売れました。この2車種がイメージリーダーとなった三菱自動車のクルマは,他の車種もイメージが向上し,ギャラン,ミラージュやRVRなど,よく売れていきました。平成4年にはラリーのホモロゲーションモデルであるランサー・エボリューションも登場し,三菱自動車のイメージはさらに高まったのでした。
 そんなイメージが一転するのは,平成12年と平成16年の2回起きたリコール隠し事件でした。それと相前後して,平成8年に満を持して開発したガソリン直噴エンジン"GDI"の多くが不調になっている,との情報がネットに多く流れるようになったのでした。
 GDIエンジンはガソリンを直接シリンダー内に噴射(GDIエンジン以前にもメルセデス・ベンツで採用されていたがそれを電子制御するのは世界初だった)することにより燃費性能と出力の両方を向上させたということでしたが,リーンバーン燃焼だったため排出ガス中の窒素酸化物が多くなってしまうことや,空気とガソリンが均等に交わりにくいことによる燃焼ムラによりカーボンが溜まりやすいという問題点もあったようです。
 その後多くのメーカー直噴エンジンの開発に参入し,それぞれが技術をものにしていったのに反し,三菱自動車はGDIエンジンを封印せざるを得なくなり,平成30年にようやく直噴エンジン車を復活させます。
 今の国内向け三菱車で,三菱自動車の工場で作っているのがアウトランダー,エクリプスクロス,RVR,パジェロ,デリカD:5,ミラージュ,iミーブ,ekワゴン,ekスペース,ミニキャブミーブの10車種。パジェロは年内の販売終了が決まり,ビッグマイナーを果たしたデリカD:5がやや気を吐いているかというところで,ekワゴンはヒットが期待されるもののとうとう日産が企画を担当し三菱はそれを作るだけという状況,おそらく圧倒的に売れるのは日産ブランドの「デイズ」と思われるので,本当に国内だけみれば,三菱自動車は後がない,といった状況です。平成初期にこの有り様を想像するのはまったく不可能なことでした。
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 明日は平成という時代を振り返りながら1位の紹介となります。

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