三菱自動車の「軽」を振り返る(8)
三菱の軽自動車4サイクル化の前にミニキャブの話を進めておかなければなりますまい。
古色蒼然だった初代ミニキャブトラックの後継として,"ミニキャブEL"が登場したのは昭和46年のことでした。
当時の2代目ミニカにも搭載されていた角形ヘッドライトを採用し,ドアの三角窓も廃したクリーンなデザインを持つようになりました。先代のミニキャブも「角」というよりは「丸」という感じのデザインだったのですが,その処理は近代化され,現行の2代目ミニカよりも新しい感じ,どちらかと言えば,このあと登場する3代目の"ミニカF4"のイメージを先取りしたようなデザインでした。
車内は2代目ミニカの部品を大幅に採用し,メーターやステアリングは2代目ミニカのものをそのまま使っていたと思います。シフトチェンジもコラムシフトからフロアシフトとなり,近代化されました。
ただエンジンは,従来のME24型空冷2サイクルエンジンを継続しており,その点だけは依然として古くさいままでした。
当時のキャブオーバー形軽商用車事情ですが,ハイメカニズムのため製造も保守管理も高コスト体質だったT360を持つホンダは,昭和42年末,ヒット作となった乗用車N360をベースに低コスト設計を図ったミッドシップ式のTN360をリリースします。
他社は空冷2サイクルエンジンか,低回転の4サイクルOHVエンジンといったありさまで,TN360は空冷4サイクルSOHC2気筒でありながら,先代T360と同じ30psを発生するエンジンを持つことにより,N360同様よく売れました。ただその30psは8000rpmという高回転時に発生,最大トルク3.0kg-mも5500rpmという高い回転で発生していました。
重い荷物を運ぶためには低回転域で強いトルクが必要になるため,乗りにくい代物だったのかも知れないのですが,T360のDOHCエンジンと違いTN360はSOHCエンジンだったため,若干低速域のトルクが改善されているかも知れないということと,TN360はもともとは自転車屋,後にバイク屋となった中小のディーラーで売られたこともあり,お客との距離が近く,「回して乗ると力強い」というユーザー教育をていねいに行うことができたからではないか,とも考えられます。
TN360は昭和45年にマイナーチェンジを受け,TNIIIと名前を変えます。
スバル・サンバーは昭和41年リリースの2代目が長く作られ続けますが,昭和45年にスーサイドドアを廃止し,エンジンも空冷2サイクルのままながらR-2に採用されたリードバルブ付きエンジンに変更されました。
ダイハツ・ハイゼットは古くさいデザインだった2代目途中にエンジンをフェローに搭載した水冷のものに変更し,昭和43年に,フェローの角形ヘッドライトを搭載してフロントを傾斜させた,角張ったデザインに変更した3代目をリリースします。当初はスバル・サンバーと同じスーサイドドアだったのですが,昭和44年に普通の後ろヒンジに変更します。
キャブオーバー型(3代目)とボンネット型(2代目)の両方をリリースしていたスズキ・キャリイは昭和44年の4代目でキャブオーバー型の1本のみとなり,ジウジアーロがスタイリングを手がけたと言われるウェッジの効いたデザインに変わりました。エンジンも25psまでパワーアップしましたが,エンジンは空冷2サイクルのままでしたが,3気筒エンジンとなったフロンテと異なり,こちらは2気筒エンジンが搭載されていました。
特にライトバンは,ファストバック車のように後ろの傾斜が強くなっているデザインが特徴的でしたが,その分荷物が積めないという大きな欠陥があり,バンの評判はよくなかったようです。
マツダのボンネットトラック・バンのB360は4サイクルOHVエンジンを持ち,3輪トラックK360から受け継いだ空冷V型2気筒エンジンから,キャロルの水冷直列4気筒エンジンに転換され,さらに昭和43年に"ポーター"という名前に変わります。
昭和44年にそのK360が製造終了,それと入れ替わるように,キャブオーバーのトラック"ポーターキャブ"をリリースします。丸い目玉,引き違い式のドアウィンドー,ダッシュボードにころんと乗っかったスピードメーター等,K360の4輪版といってもいいほど低コスト設計のキャブオーバートラックだったのですが,丸みを帯びたボディは未来からやってきたかのような印象がありました。
ずうっと4サイクルでやってきたマツダが初めて採用した空冷2サイクル2気筒エンジンは,ブリヂストンの技術者が開発されたものとされています。当時のマツダはロータリーエンジンの改良にやっきだった頃であり,ホンダのような軽自動車用4サイクルエンジンの開発は難しかったものと思われます。
軽自動車の生産をあきらめたメーカーもありました。愛知機械は空冷4サイクルOHVエンジンを持つ軽キャブーオーバー車「コニー」を作っていました。しかしパワフルな他メーカーの軽商用車に低回転低出力のエンジンしか持たないコニーでは勝てるはずもなく,昭和45年,資本提携していた日産のFF乗用車「チェリー」の登場と入れ替わるように軽自動車の製造を終了します。
その前年である昭和44年に1000ccクラスのキャブオーバー商用車「サニーキャブ」を開発して日産に供給,上記の通り「コニー」の後継として販売されることになり「チェリーキャブ」と改称,さらに再び「サニーキャブ」も復活した後,昭和53年に「バネット」にモデルチェンジ,トヨタのライトエースのライバルとして,1999年にFF化されるまで愛知機械で作られました。
軽商用車の世界でもこのように近代化が進んでいたため,三菱といえどもミニキャブの改良をせずにはおられなかったということです。しかしミニキャブELはすばらしいデザインといえども空冷エンジンがネックだったため,すぐにマイナーチェンジされ,昭和47年から"ミニキャブW"として生まれ変わります。"EL"というサブネームの意味はよく分からないのですが,"W"のサブネームはもちろん水冷エンジン搭載,という意味です。
ミニキャブWは丸形のヘッドライトを採用していました。直後に登場したミニカF4も丸形ヘッドライト採用であり,それと合わせたということもあるのでしょうが,ミニキャブELと比べてデザインは逆行したような印象がありました。それはメーカーでも気がついていたのか,翌昭和48年にはマイナーチェンジされ,ヘッドライトの大型化が図られ,デザイン上のアクセントとなっていました。
このようにグッドルッキングだったミニキャブトラックですが,実はバンは旧態依然の初代を継続生産しており,名称だけトラックに合わせて"ミニキャブEL"として,軽自動車の規格が改正される昭和51年まで売られ続けられたのでした。ホンダもマツダも,この時点ではキャブオーバー型のバンを作っていなかったので,バンを古くさいまま放置する判断はそう誤りではない,とも思われるのですが,この頃までに他社は,
・昭和46年にダイハツ・ハイゼットは4代目となりデザインを近代化。昭和47年のバンの追加時に軽自動車で初めてスライドドアを採用する。
・昭和47年にスズキ・キャリイは5代目となり水冷エンジン化。バンも一般的なデザインとなりスライドドアも採用。
・昭和47年ホンダTNIIIはマイナーチェンジを機に"TN-V"と名称変更され,縦型丸目4灯のヘッドライトを採用する。一方で乗用車ライフ(水冷エンジンFF方式)ベースのセミキャブオーバー商用車「ライフステップバン」「ライフピックアップ(昭和48年)」を用意する。・昭和48年にスバル・サンバーは3代目となり水冷エンジン化しデザインも近代化され,同時にバンにはスライドドアを採用する。
・さすがのマツダ・ポーターキャブも昭和45年にドアウィンドーを巻き上げ式に変更した後,昭和48年にエンジンを水冷化。
するなどの動きがあり,三菱ミニキャブ,特に古くさいデザインと空冷エンジンのまま存置されていたELバンは改良待ったなし,という状況に陥ってしまったのでした。
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