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2020年10月26日 (月)

三菱自動車の「軽」を振り返る(9)

 2サイクルエンジン,本当は2ストロークエンジンと言うのだが,ピストンがシリンダーを1往復する間に吸気・圧縮・膨張・排気を全部やってしまう仕組みです。
 4ストロークエンジンがガスを燃焼室だけにとどめておくのに対し,2ストロークエンジンは混合気をまずクランクケースに導いて予備圧縮する仕組みとしており,それにより給排気のバルブやそれを駆動するカムシャフトとチェーン(ベルト)を省いて簡便なつくりにすることができる特徴もあります。
 またクランクシャフト1回転あたり1回の爆発となるので,単純に言えば4ストロークエンジンの2倍混合気を爆発させることができ,従ってエンジンが低速回転しているときでも高いトルクが得られるメリットがあり,簡便な作りが要求されるオートバイや軽自動車にはうってつけのエンジンだといえます。
ところが吸排気のバルブがない,ということは4ストロークエンジンのように混合気を完全燃焼させることが難しく,また燃焼したあとの排気に燃焼前の混合気が混じりやすいという欠点もみられます。
 完全燃焼しないということで,構造上一酸化炭素や炭化水素の排出量が多くなります。その一方で,燃焼温度が低く押さえられることから窒素酸化物の排出量は少なくなり,後年各自動車メーカーが悩まされることになる窒素酸化物への対策が,2ストロークエンジンではほとんど不要である,というメリットもわずかながらありました。

 1960年代後半から,自動車が排出する有害ガスの影響が問題提起され,各メーカーは公害問題への対応を迫られることになります。特に軽自動車は,ホンダを除き2サイクルエンジンを採用しているメーカーがほとんどで,このまま2サイクルエンジン車を作り続けるか,それとも4サイクルエンジンを採用するか,または軽自動車の製造をやめてしまうか,という判断を迫られていました。
 ただ,トラックやバンなどの商用車については,50年規制が導入されてもかなり緩い規制にとどまることとなり,特に軽商用車では低速トルクの強い2ストロークエンジンが好まれたこともあるので,各社ともしばらくの間は,旧来のエンジンのまま作り続けられていました。
 ところが軽乗用車については厳しい排出ガス規制が導入されることとなったため,特に三菱とスバルは,相次いで軽乗用車の4サイクル化を実現し,その上で公害対策システムの構築に努めていったのでした。

 三菱が昭和47年10月にリリースした4サイクル軽自動車が"ミニカF4"でした。キャッチフレーズは「さわやか4サイクル」。当時の三菱の技術資源の関係からか,この時点では前輪駆動とはならず,2代目ミニカ同様プロペラシャフトのある後輪駆動のままでした。ホイールベースも先代と同じ2000mmでしたので,シャーシは従来のものを手直しした程度のものだったのでしょう。
 しかしボディデザインは,当時のホンダ・ライフの影響もあり丸みを帯びたものに大きく変更されていました。ボディ形状は2代目ミニカの3ドアから2ドア+グラスハッチに後退。ただし前述の通り当時の3ドアボディは特に後突に弱かったので,グラスハッチにして開口部を小さくする,というのはボディ剛性維持のためやむを得なかったものと思われます。

 エンジンは2G21型と呼ばれる水冷2気筒OHCエンジン。当時の三菱はエンジンに星座の名前をつけるのが常でしたが,このエンジンは「バルカン」エンジンと呼ばれていました。普通のバージョンに搭載されたシングルキャブタイプが8000回転で32ps,スポーツバージョン用のツインキャブタイプが8500回転で36psと,かなりの高回転仕様になっていました。シングルキャブ車は8トラックステレオの付いたGL,タコメータのついたカスタムがフォグランプを含めた4灯式のお面,スーパーデラックス,デラックス,スタンダードと,シングルキャブながらスポーツ仕様のスポーティデラックスが2灯式のお面でした。ツインキャブ車は高級型のGSLと廉価版のGSの2種で,これらも4灯式のお面でした。結構なワイドバリエーション構成ですね。
 前述の通りエンジンを4サイクル化するとどうしても低速トルクが弱くなり,発進時にエンストしやすくなるという欠点を嫌うユーザもいたため,三菱ではこの時点で2代目ミニカを"ミニカ'73"として1年間継続販売して対応しました。バンも2代目を継続しここでエンジンを水冷化しました。
 また,2代目ミニカベースのクーペ,"スキッパー"はミニカF4リリースと同時にエンジンが4サイクル化され,2年後の昭和49年まで販売されました。

 ミニカ'71に乗っていた我が家にも,三菱のセールスマンがやってきて,当時(翌昭和48年)新登場した2代目ギャランと(なぜかその時モデルチェンジ前の初代ギャランのカタログも置いていった。在庫車を売りさばくため?),このミニカF4のカタログを置いて帰ったことがありました。web上にこの当時のミニカF4のカタログをアップしている方がおられ,確かにこのカタログだった,と思いながら見ることがあります。

 そのカタログには早くから"MCA"という単語が踊っていたのを覚えています。MCAとは,ミツビシ・クリーン・エア・システムの略。ただ当時はまだまだ「昭和48年排出ガス規制」の時代であり,未燃焼の混合気を外に出さないようにしたり,点火時期を調整して有害物質を若干抑える等の対策しかなされていませんでした。
 ちなみに昭和48年排出ガス規制の規制値は,4サイクルガソリン車・10モードの試験モードで1kmあたりそれぞれ,一酸化炭素が26.0g,炭化水素が3.80g,窒素酸化物が3.00gというものでした。これが昭和50年規制(乗用車)になるとそれぞれ2.70g,0.39g,1.60gまで削減しなければならなくなるのですから,かなり大甘な規制であったということが分かります(2サイクルの炭化水素規制値は48年規制22.5g,50年暫定規制(次回に記述)5.60gとさらに甘い。ただし窒素酸化物の規制値は両者とも0.50g)。
 そんな規制値なのにすでに"MCA"を名乗らせていたというのですから今からみれば結構厚顔無恥な印象もあるのですが,webにアップされているミニカF4の当時の広告を見ると,ミニカF4に「すでに50年規制をクリアした『MCA-IIBシステム』」を採用予定だとしているものを見ることができます。
 MCA-IIBとは,いわゆる「サーマルリアクター」を採用した公害対策システムです。最初に搭載されたのはマツダのロータリーエンジン車で"REAPS"と呼ばれ,車名に「○○AP」とつけて販売されていました。
 ロータリーエンジンも2サイクルエンジン同様給排気のバルブがないエンジンであり,4サイクルレシプロエンジンのような完全燃焼が難しいエンジン形式です。ところが完全燃焼が難しいということは燃焼温度が低いということであり,低減が難しいとされる窒素酸化物の排出が比較的少ないということから,極端なことを言えば一酸化炭素と炭化水素の浄化だけ考えればよいということになります。エンジンから出た後の燃え残りガスに空気を導入し,熱反応釜の中で再燃焼させれば二酸化炭素と水に変わる,というもので,燃費が悪化するというデメリットがあるものの,構造上もともと燃費がよくないロータリーエンジンにとって理に適った排気ガス浄化装置だと言えました。

 排気ガス浄化方式の本命は酸化触媒方式で,当時のトヨタや日産はこの方式を中心に開発を進めていました。ところが酸化触媒は,当時流通していた有鉛ガソリンを使うと機能を悪化させる欠点があり,レギュラーガソリンが完全無鉛化される昭和50年4月まで,その方式を採用した低公害車がリリースできませんでした(なのでトヨタはホンダのCVCC方式のパテントを導入し"TTC-V"と銘打ってコロナとカリーナに2000ccエンジン車を導入し昭和50年4月より前に発売開始したが,トヨタにはCVCC方式に対するホンダほどの知見はなかったからか出力が弱く,ほとんど売れなかった)。
 このサーマルリアクターを使えばガソリン無鉛化を待たずに低公害車をリリースすることができ(実際に三菱は有鉛ガソリンを指定した51年規制のツインキャブ車をこの後市販している→これはオクタン価だけのことなので,もしこのツインキャブ車が現有しているのなら,現在は無鉛ハイオクガソリンを使用すればよい),「いち早く公害対策車を完成し環境を配慮した自動車会社」というアピールもできます。
 このサーマルリアクター方式は2代目ギャランに,まず昭和48年,48年規制対応のまま試験的に導入され,翌49年には正式に50年規制対応と銘打って販売,さらに50年11月には51年規制合格車をリリースします。ところがサーマルリアクター方式の浄化の仕組み上,どうしても濃い混合気で不完全燃焼気味にエンジンを回す必要があり,ロータリーエンジン同様燃費が悪くなる,という欠点が残りました。
 ただでさえ売れ行きが伸び悩む軽自動車に,燃費の悪いサーマルリアクター方式の導入は致命的。というわけで,広告での約束に反する形で,ミニカF4では,本格的な公害対策システムの導入を見送らざるを得なかったのだろうと思います。

 公害対策を進めるため,昭和48年にはツインキャブ車が廃止となり,翌49年は最高出力が30psにデチューンされます。この時にグレードもカスタム,スーパーデラックス,デラックス,ハイスタンダードの4つに絞られます。その過程で,この2気筒エンジンに,バランサーシャフトと称するエンジン振動を抑制するシャフトが搭載されます(バランサーシャフトの導入はホンダの初代ライフが先行した)。このシャフトは翌年三菱のアストロンエンジンにも搭載され,「80エンジン」と称することになるのですが,軽自動車用のバルカンエンジンには,なぜか最後まで「80エンジン」と称されることはありませんでした。
 ミニカF4について特筆しておくこととして,簡便な「割りホイール」の採用をやめたことがあるでしょうか。割りホイールはタイヤが取り付けやすいというメリットもあるのですが,直進性が大幅に劣ってしまうため,この頃から各社とも割りホイールの採用をやめていくようになりました。

 公害対策の話に戻りますが,この時点でスズキとダイハツは2サイクルエンジンのままフロンテ,フェローMAXの販売を続けます。スバルは2サイクルのままでは50年規制に合格できないと判断し,まず昭和48年10月にレックスを4サイクル化。一方で公害対策システムとして,水平対向エンジンにマッチした広義のサーマルリアクター方式である"SEEC-T"が軽自動車でも活用できることを発見し,昭和50年末に360ccのまま51年規制に対応させてリリースします。
 一方でホンダは軽自動車の車検義務化による売れ行き低迷や,普通車シビックの売れ行き拡大に伴う増産対応のため軽乗用車ライフの生産を昭和49年で終了します。もっともホンダ独自の公害対策システムである"CVCC"は,トヨタ"TTC-V"の失敗をみても分かる通り実は既存のエンジンに簡単には導入できない仕組みだと思われ,ライフのエンジンにCVCCシステムを搭載しても実用的なものに仕上がらなかった可能性が考えられます。
 マツダも2サイクルエンジン搭載のシャンテを昭和51年4月で販売終了します。スズキやダイハツでは2サイクルエンジン用の公害対策システムを研究開発していたのですが,「ロータリーショック」後のマツダではもともと売れ行きの少ないシャンテにわざわざ2サイクルエンジン用の「AP」システムを開発したり,新たに軽自動車用のと4サイクルエンジンを開発したりする余裕はなかったものと思われます。マツダはこの2サイクルエンジンを最後に,軽自動車用のエンジン生産から撤退します。

 昭和51年から軽自動車の規格が拡大されることになり,他社もそれに向けて新エンジンの開発を進めるのですが,三菱もエンジン排気量の拡大に合わせて,新たな公害対策システムの導入をすすめることになるのです。

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