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2021年5月 9日 (日)

三菱自動車の「軽」を振り返る(10)

 時代が下った平成10年10月の6日から8日にかけ,全長3.4m,全幅1.48mに拡大された新規格の軽乗用車が,三菱,ダイハツ,スバル,スズキ(OEM先のマツダ),そしてホンダから一斉に発売されました。これらの新型車は(前モデルが2年前に発売されたばかりでキープコンセプトだったホンダを含め)それぞれ新たに開発されたものが投入されており,そういう意味でも非常に目新しいものでした。
 しかし,昭和51年に軽自動車の規格が排気量550cc,全長3.2m,全幅1.4mに改訂されたときは,各社がばらばらに新型車をリリースし,しかも,新規格を目一杯活用したクルマが皆無だったという,平成10年から思えば信じられない光景が見られたものでした。
 今回は,まず乗用車から見ていきます。

 新規格に一番乗りしたのが三菱自動車でした。「ミニカ5」と名付けられ,エンジンは360cc時代と同じ水冷2気筒OHCながら,ボアもストロークも引き上げられた471ccエンジンが開発され,四捨五入して「500ccエンジン搭載」と言っていました。出力は360cc時代同様30psとし,それが6500回転時に発生するようになっていました。
 肝心の公害対策方式は三菱の乗用車で一般的だった「サーマルリアクター」ではなく酸化触媒が使用されていました。そのため燃費がよいことを売りにしており,60km/h定地燃費で30km/L,三菱車で初めて公表された10モード燃費が19.5km/Lとしていました。
 ただ,ボディは前モデルのミニカF4そのままとし,ただ前後のバンパーだけ,5マイルバンパー風(本当に「5マイルバンパー」の機能があったかどうかは不明)のバンパーを取り付けて全長を長くしただけとなっていました。拡大したエンジンについても,「ミニカ5」リリース直後に社長が「エンジンは500cc付近が一番効率がよい」とコメントしていたものでしたが,実際には製造設備の兼ね合いでまずは471ccエンジンにせざるを得なかったのが事実らしく,三菱のミニカ5は「エンジンは中途半端に拡大,ボディは旧規格のまま」という,あとから振り返れば一番買い得感のないモデルだったかと思います。
 バリエーションは,ミニカF4の末期と同じくカスタム・スーパーDX・DX・ハイスタンダードの4車種で,カスタムは当時の軽自動車で唯一タコメータを標準装備していましたが,スポーツ走行ができるような代物ではありませんでした。
 フォグランプが廃止され2灯式となったフロント部は格子状のグリルになっていました。川を渡ったところにある農協系列のディーラーに実車を見に行ったことがありますが,子ども心に「いかにも農協が売っていそうな感じのするお面の車だ」という印象を持ちました。格子状ということで掃除も結構大変そうな感じがします。

 1か月ほど遅れて登場したのがスバル・ダイハツ・スズキの軽乗用車でした。果たしてこの3社がどんな順番で新型車をリリースしたのか,今となってはよくわかりません。

 スバルの「レックス5」は,エンジンは三菱同様中途半端な拡大で490ccとし,360cc時代の途中で切り換えた水冷2気筒OHCエンジンに,すでに360cc時代に採用していた"SEEC-T"と呼ばれる公害対策方式を導入していました。エンジン出力は31psと,当時の軽自動車としてはトップだったと思います。一方ボディはフルサイズに拡大,ただしボディデザインは360cc時代を踏襲していたため,実質は車幅のみの拡大だったでしょうか。「エンジンは中途半端に拡大,ボディは事実上車幅のみ拡大」であったと思います。前述のとおり新規格車を運転できない旧軽免許保有者向けには,51年規制に対応した360ccレックスの在庫車で対応したのでしょうか。

 現在の軽自動車界の雄である,スズキとダイハツは,まずスズキから見ていくと,他社が排気ガス対策のやりやすい4サイクルに移行したのに対し,スズキは2サイクルのままエンジンを拡張したのでした。
 ここで当時の排気ガスの規制値を見ていきます。簡単な機器の追加で対応できた昭和48年規制の規制値がそれぞれ1kmあたりで,一酸化炭素が26g,炭化水素が4サイクルで3.8g,2サイクルで22.5g,窒素酸化物が4サイクルで3g,2サイクルで0.5gとなっていました。
 ここで気がつくことは,2サイクルエンジンは炭化水素を多量に排出する反面,窒素酸化物の排出は極めて少ないということです。2サイクルエンジンはバルブのない構造であるためどうしても完全燃焼が難しく,しかしそれ故に排気温度が低く保たれるので窒素と酸素が結びつきにくいというわけです。
 その後の規制値を見ていくと,50年規制(4サイクル)で一酸化炭素は約10分の1である2.7gに,炭化水素は0.39gに,窒素酸化物は1.60gになり,51年規制(規制区分が"B"のもの)で一酸化炭素は同じ2.7g,炭化水素も同じ0.39g,窒素酸化物だけ強化されてそれでも0.84gとなっていました。
 排気ガス規制がこんなに細かい段階を踏んで実施されたのは,要するに4サイクルエンジンの窒素酸化物の低減に各メーカーは悩まされていたわけであり,逆に言えば,炭化水素だけなんとかできれば,窒素酸化物の対策をほぼ考慮しなくてもよい2サイクルエンジンにも可能性はあった,ということです。

 そして実際軽自動車に適用された51年規制(規制区分が"C"のもの。クラウンやルーチェGTのような,等価慣性重量が1tを超える車両にも適用)については,窒素酸化物の排出量が1.2gでよいことになっていました。ただそれでも当時の2サイクルエンジンはそれをクリアできそうになかったため,「50年暫定規制」というものが導入され,窒素酸化物は0.5gと48年規制のまま(それでも当時の4サイクルエンジンにとっては絶望的な値)なのに対し,炭化水素の排出量は5.6gでよい,ということになっていました。

 ここでスズキの話に戻るのですが,スズキは"TC(ツイン・カタリスト)"と呼ばれる2段ハニカム触媒方式を採用して,ようやく50年暫定規制をクリアできたというわけです。排気ガスがエンジンから出た直後にエアポンプで2次空気を導入し,そこで一つ目の触媒を通し,さらにマフラーの途中で2つ目の触媒を通す,という仕組みでした。ところが炭化水素排出量の関係からか,いきなりフル規格のエンジンを導入するわけにはいかず,三菱よりもさらに小さい443ccの水冷2サイクル3気筒エンジンしか投入できませんでした。「フロンテ450」という名前では他社に比べて見劣りするので,「"Space,Safety,Sense,Save money,Silent,Stamina,Suzuki tc"の7つの"S"がある」ことから「フロンテ7-S」と名付けたのでした。今から見れば恥ずかしくなりそうなネーミングですが,2サイクルエンジンの搭載によりトルクだけは当時の軽乗用車の中ではトップの性能を持ち,"Stamina"だけは確かにそうだったということが言えたと思いますし,低速トルクの強さは他車と比べて乗りやすいことも事実だったろうと思います。
 ただこの7-Sも,ボディはレックス同様360ccモデルを拡幅しただけにとどまっており,「エンジンはさらに小幅な拡大,ボディは事実上車幅のみ拡大」ということになりました。なおここでフロンテクーペは消滅し,ここからしばらくの間,軽自動車からスポーツモデルが姿を消しました。

 残るダイハツは,360cc時代はずうっと2サイクルエンジンで通しており,ここで初めて軽自動車用の4サイクルエンジンを投入します。全くの新開発になることから,他社のように中途半端な排気量にする必要がなく,当初からフル規格の547ccエンジンを採用していました。出力は28psにとどまっていましたが,多くの2サイクルユーザを抱えているダイハツとしては,他社のように高回転形のエンジンを採用するわけにはいかず,他社より低い回転域で最大トルクを発生できるようにしていました。
 公害対策も,トヨタの開発したTGPポッドを採用して"DECS-L"と名付けて搭載,51年規制に対応させました。余談ながら,トヨタの"TGP"方式は,51年規制の段階では後処理不要な仕組みだったのでその点では優秀だったのですが,OHVで旧型のT型エンジンに搭載されたそれはともかく(逆に1800ccの13T型エンジンはOHC方式だった16Rエンジンを淘汰した),ターセルやコルサに搭載されたOHCの新エンジン1A型の評判がよくなく,カローラやスプリンターには採用されず,ターセルやコルサもその後"TGP"のない3A型エンジンに換装されてしまいました。一方のダイハツはこの軽自動車だけでなく,1000ccのシャレードにも搭載させて,"TGP"をものにしてしまうのでした。
 エンジンの開発に注力し,さらに新1000cc車「シャレード」の開発中でもあったことから,ダイハツはこれ以上の開発を行うことが困難だったものと思われ,ボディは三菱同様の360cc時代のものを踏襲し,「フェローMAX550」として販売されました。なおこのタイミングで,それまで存在していた2ドアハードトップ車が廃止されています。
 話はここで終わりません。ダイハツはこの「フェローMAX550」と同時に,旧来の2サイクル360cc車も50年暫定規制に適合させて販売したのです。ところがこの件に関しては当時から情報が少なく,Wikipediaを見てもどんな方式で50年暫定規制に適合させたのか見当がつきません。前述のとおりスズキは社運をかけて"TC"方式を完成させており,ダイハツの360cc50年暫定規制適合車も,そんなに生半可に作られたものではなかったと思います。しかしどう考えてもこの360cc車は長く作られ売られるような代物ではなく,想定されるユーザも51年規制レックス360同様軽免許ユーザや,低速トルクが弱い4サイクル車では運転が難しい人向けというニッチなものでしかありません。この50年暫定規制版フェローMAX360は,その収支が赤字に終わったのではないかと思うのですが,本当のところはどうだったのでしょう…。

 三菱は一足早く新規格車をリリースできたものはいいものの,同じように中途半端に終わった他メーカーのライバルと比べても,2ドアのボディしかないことを含め見劣りする内容に終わっていました。ただ当時の三菱の事情を考えると,ミニカ5リリースの直後には,大ヒットしたギャランΣのリリースを控えていました。そしてその年の夏には画期的な公害対策方式だった"MCA-JET"の開発を公表し,年末にはギャランΛのリリース,さらに水島では新開発のFF車である「ミラージュ」の開発が進んでいたころでしょうから,軽自動車の開発に割く社内資源は限られていたのだろうかと思います。
 とはいうもののボディの拡幅もエンジンの拡大も中途半端なままではいけないので,それらを克服したモデルのリリースを三菱は急ぐことになるのです。

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(2022,9,19追記)
 スズキの100周年記念サイトにある「スズキ軽自動車年表」,

extension://nhppiemcomgngbgdeffdgkhnkjlgpcdi/data/pdf.js/web/viewer.html?file=https%3A%2F%2Fwww.suzuki.co.jp%2Fabout%2Fmuseum%2Fhome%2Fpdf%2Fsmvc.pdf

というpdfファイルを見て初めて知ったのですが,その7ページに,昭和51年5月,360cc時代の4代目フロンテに50年(暫定)排出ガス規制適合車が発売されたとあります。スズキも360cc時代の末期に排出ガス対策車を登場させていたのですね。方式はおそらくツイン・カタリスト方式だったのでしょう。このあと450cc,550ccエンジンにも搭載された方式ですので,ダイハツのように「これっきり」だったわけではなかったでしょう。
 もっとも50年規制版フェローMAX360同様,50年規制版フロンテ360を見たことがありません。両車,そして51年規制版レックス360ともども,当時からかなりの珍車だったものと思われます。

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