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2022年6月26日 (日)

ナショナルTH18-E38 オイルショックを乗り越えた新時代の家具調テレビ

 うちで最初に購入したカラーテレビが昭和44年の東芝「名門」。それまで住んでいた兵庫県から鳥取県まで持って帰り,さらに1年半近く使っていたものの,昭和51年の春(ちょうどゴールデンウィーク中だった)に突然うんともすんともいわなくなってしまい,1週間テレビなしの生活を余儀なくされてしまったのでした。

 ゴールデンウィーク後,海岸まで出かけた小学校の遠足から帰ってくると,こんなテレビが家に鎮座していたのでした。

https://youtu.be/dINMF4A3yQs?t=735

 ナショナル(現パナソニック)の「Woodyクイントリックス」こと,TH18-E38です。
 ナショナルのカラーテレビの愛称は「パナカラー」。うちでは上記の通り東芝のカラーテレビでしたけど,親戚の家々では大きなコンソールタイプのパナカラーが結構購入されていたようでした。
 ブラウン管の明るさを改善した「パナカラー・エバートロン」が登場したのが昭和47~48年ごろだったでしょうか。正方形状に赤青緑黄4つの円を並べ,右下の黄色い円だけ"Q"の文字に見えるシンボルマークが特徴でした。
 昭和49年には故坊屋三郎さんのCMで有名になった「パナカラー・クイントリックス」が登場,

https://www.youtube.com/watch?v=dl0o8JDWQsA

「5極3レンズ」方式と称してシャープな画質と低消費電力を売りにしていました。この頃は第1次オイルショックの影響が続いていた頃。従来主流だった大きなコンソールタイプのテレビは影をひそめてしまったのでした。この機種もコンパクトな卓上型となっており,かといって従来コンソールタイプのテレビを置いていたところにも違和感なく置けるよう,オプションの「テレビ台」が設定されるようになっていました。

 そうしてオイルショックがおさまった昭和51年早々,従来の卓上型テレビにも豪華さをプラスして,コンソールタイプのテレビに負けないようにデザインされたのが,この「Woodyクイントリックス」だったのでしょうか。本体価格は13万9千円。専用台が1万1千円でしたので,合計で15万円になるように価格設定がなされていました。
 「Woodyクイントリックス」の30秒版CFでは,輪切りにした木を「Woodyクイントリックス」が納まるようにくり抜き,そこに「Woodyクイントリックス」を納めたシーンがありました。このコマーシャルを昭和51年早々,小学校3年生だった私は「こんなテレビがいいなぁ」と母親に言い,「それならもっと頑張らないとね」というようなことを言われた覚えがありました。そのテレビがうちにやってきたのです。輪切りにした木はありませんでしたが(爆)。

 「クイントリックス」ブラウン管搭載でしたが,本体左下の「PanaColor」のロゴの左には依然として「エバートロン」時代の4つの円マークが残っていました。消費電力は坊屋三郎さんが宣伝した頃の18型よりさらに低下して78W。
 新しいテレビでしたので,それまでの東芝「名門」と違い,チャンネル右下の電源スイッチを引っ張るとすぐに出画されるのがよかったです。「名門」より少し後のカラーテレビはすぐに出画されるようになっていたものの,ブラウン管を常に予熱することにより実現されていました。オイルショック後は各メーカーともブラウン管を予熱しなくても電源オンですぐに出画できるよう工夫されるようになりました。
 テレビの筐体がコンパクトになったため,コンソールタイプのテレビのように大きなスピーカーを搭載することができなくなりました。そのため本機では,背面にミニジャック式の外部スピーカー端子を搭載し,大型スピーカーを搭載したテレビ台を別途用意して迫力のある音が必要なユーザに対応していました。ただそのスピーカー付きテレビ台はメタリックなデザインをしており,本機とのデザイン的な相性はあまりよくなかったように思いました。
 しかし本機の特徴はそこまで。それ以上の機能を売りにするようなことはありませんでした。「Woodyクイントリックス」のラインナップとしては18型の他に20型,22型とあったようですが,CFで18型を真ん中に置いていたところをみると,当時の売れ筋はやはりコンパクトな18型だったのでしょう。18型のブラウン管で当時は何も問題に思わなかったように思います。
 この年はモントリオールオリンピックのあった年。オリンピックが近づくとこのようなバージョンのCFも流されました。

 https://www.youtube.com/watch?v=1wNiwWXCh_M

 昨年の東京オリンピックの「4Kでオリンピックを見よう」と比べるとずいぶんスケールが小さいような気はするのですけどね。そういえばこのCFのテーマソングは,なんと故小林亜星さんの作曲なのだそうです。これまでずうっと,アメリカの民謡だとばかり思っていました…。

 その後この「Woodyクイントリックス」は,それまで無段階式だったUHFのチャンネルが「カチカチ」音のするクリック式に変わるマイナーチェンジを受けるのですが,「東芝の『名門』だってUHFのチャンネルはクリック式だったのに」といういまさら感が漂っていたのを思い出しました。
 しかし各テレビメーカーのチャンネル戦争はこれでは終わらず,翌昭和52年には各社ともタッチセンサー式が当たり前となり,それに簡単なワイヤレスリモコンまでつけてしまうようになってしまい,

https://youtu.be/Tg_kf6j4dOI

たった1年でそこまで様相が変わってしまったので「それはないだろう」と子供心に思ったものでした。さらに翌昭和53年には音声多重放送もスタートし,ますます我が家の「Woodyクイントリックス」は時代遅れとなってしまうことになったのでした。

 そんな中昭和57年には今は亡きサンヨーの"VTC-E3"というベータ方式のビデオデッキを購入。ピクチャーサーチをすると突然テレビの画面が真っ暗になってしまうのに頭を抱えてしまったのでした(テレビ側で調整をしてもらって解決。VTC-E3にはこの他いろいろ悩まされる事態に見舞われたのだが本題ではないので割愛)。

 しかし我が家では,このナショナルのTH18-E38。なんと平成4年までの16年間メインのテレビとして鎮座していたのでした。山陰地方で地上波の音声多重放送が始まったのがNHKで昭和61年,民放は山陰中央テレビが平成4年早々(平成3年末には試験放送が始まっていた)と遅く,テレビより先にビデオデッキの方で音声多重対応(ソニーSL-HF3)してしまうという有り様でした。
 平成4年頃のテレビはソニー・プロフィールが先駆けとなったモニタータイプが主流となっており,「Woodyクイントリックス」のような家具調テレビはもはや過去の異物となっていたのでした。

 「Woodyクイントリックス」で他に思い出される事は,「保証書」が厚紙でできており,転居したときには松下電器宛連絡してもらうようハガキもついているのが印象的でした。他のナショナル製品の保証書は薄くてペナペナでした。
 当時の松下電器では,カラーテレビの顧客を中心としてカスタマー管理を行っていたのでしょうかね。今のパナソニックはすでにテレビの国内生産を終了しているとのこと。番組の送出側はともかく,製造側としては,すでにテレビは「オワコン」になってしまっているのでしょうか。残念ですが仕方がありません。

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(2022,7,10追記)

 このコマーシャルにもTH18-E38が映っていますね。

https://youtu.be/QUp_J91PUlY?t=29

 ただこれは,故泉大助さんが宣伝していたVX方式のビデオデッキのコマーシャルですね。四国の松下寿電子が開発した1ヘッド方式のホームビデオで,コマーシャル内でも説明されているようにわずか100分しか録画できず,翌年VHS方式の"マックロード"に置き換えられてしまうのでした。

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投稿: くすぴー | 2022年7月 3日 (日) 06時59分

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