三菱自動車の「軽」を振り返る(12)
軽規格の電気自動車が復活して元気を取り戻したかに見える三菱自動車の「軽」ですが,年2回程度のアップが災いしていまだにその45年前(!)を右往左往している本連載です…。
いつまでも中途半端に拡大したエンジンと,旧規格のボディサイズのままではいけないので,さすがの三菱も乗用車・商用車のフル規格化を目指すことになるのですが,乗用車版の「ミニカアミ55」がリリースされたのが昭和52年6月だったのに対し,商用車版の「ミニキャブワイド55」がリリースされたのが昭和52年3月でした。「ミニキャブワイド55」が先にリリースされたので,ミニカのフル規格版も近いうちに出るだろうなと,当時小学生だった私は思ったものでした。
そう思って,実は「ミニキャブワイド55」のことを先に書こうとして,あらかた書き上がっていたのですが,軽自動車史全体を見ると,このわずか数年後に大きなうねりが押し寄せることとなるため,「ミニカアミ55」の方を先に書くことにしました。
6月に登場したミニカアミ55は,先代のミニカ5と比べ,ようやくフル規格化(546cc)したエンジンを搭載し,車幅を規格いっぱいに拡大し,フロントマスクとリヤビュー,インパネに大きく手が加えられたモデルとなりました。シフトノブがこれまで2代目ミニカ以降に採用された軽専用のものから,上級のランサーに使われていたものに変更されたのも目新しかったです。
だからWikipediaではこのミニカアミ55と次世代(昭和56年)のミニカアミLを同じ「4代目」として紹介しているのですが,アミLはホイールベースが5cm拡大され,サイドビューも大幅に変えられているのに対し,ミニカアミ55のサイドビューはミニカ5や,旧規格の ミニカF4と全く変わりがないことから,ミニカアミ55はミニカ3代目に属し,ミニカF4やミニカ5のビッグマイナーモデルであると考えるのですが,いかがでしょうか。
ミニカアミ55がリリースされた際,うちに下宿され初代カローラに乗っていたおじさん?お兄さん?と一緒に見に行き,ホーロー引きのマグカップをもらったのを覚えています(のちに初代シャレードを購入する)。
しかし当時この車を見て小学5年生の私はどう思ったのか。よく思い出せないのですが,なんだか残念な印象が残っているのです。
まずは最上位車種の"XL"。直前に登場したミニキャブワイド55のバンに用意されたグレードの"XL"同様,メッキのホイールリングが標準装備となり,豪華な印象こそあったのですが,前モデルのミニカ5の"カスタム"グレードに標準装備されていた,タコメーターが外されたことがまず一番の残念な点だったでしょうか。
そして当時は,排出ガス規制が昭和51年規制から昭和53年規制に変わり始め,後述の通り軽乗用車でも53年規制をクリアしたモデルが出始めた頃だったのですが,このミニカアミ55は古い昭和51年規制のまま登場してしまったことも残念な点でした。
三菱自動車は画期的な公害対策システム"MCA-JET"を開発し,そのメカニズムを組み込んだ新エンジン「オリオン」1200ccを昭和52年5月ランサーに搭載しました。
点火プラグの近くに細いポートとジェットバルブを設け,低負荷時に空気または薄い混合気がそこから噴流のようにシリンダー内に入り,シリンダー内を高速に攪拌することにより希薄燃焼を図り,COとHCを減らし,EGRと少量の三元触媒でNOxを減らして昭和53年規制に適合させ,燃費も向上させた(三菱の登録車はそれまで燃費に不利なサーマルリアクターによる公害対策だったため,燃費の向上は劇的だった)というものでした。その後オリオンエンジンの1400cc版の追加と,従来のサターンエンジン(1600cc),アストロンエンジン(2000cc。2600cc版は翌昭和53年の登場)にもMCA-JETシステムを採用して,当時はそれを大々的に宣伝したものでした。
そして三菱自動車のこの頃と言えば,翌昭和53年に登場する新しい小型FF車,「ミラージュ」の仕上げに注力していた頃でした。当然,軽自動車に割ける人員はそんなにいなかったでしょうし,ましてやその軽自動車に搭載するMCA-JETエンジンの開発もマストではなかったのだろうと思います。このような事情から,新エンジン"MCA-JET"に沸く三菱の中で,ミニカアミ55は地味なスタートを切らざるを得なかったのではないかと想像します。
すでにボディ全幅を拡大していたスバル・レックスはエンジンのフル規格対応を急ぎました。スバル独特の公害対策方式"SEEC-T"で53年規制にも対応できることが分かり,国内自動車メーカーのトップを切って53年規制対応車(レオーネ)をリリースしたスバルは,昭和52年5月に「レックス550」をリリースしたのでした。
ところがそれよりも驚いたことが。2サイクルエンジンを導入していたため53年規制への対応が危ぶまれていたスズキのフロンテ7-Sがなんと,この年6月に「スズキTC」方式により,53年規制に対応させてしまったのでした。
ここで乗用車の排出ガス昭和53年規制の規制値を振り返ると,COが2.70g/km,HCが0.39g/km,NOxが0.48g/kmとなっており,これは2サイクルも4サイクルも共通の数値となっています。COの規制値は50年規制の時と変わらず,HCの規制値も4サイクルの50年規制と変わらないのですが,2サイクルの50年暫定規制値が5.60g/kmだったので,HCを4サイクル車並に逓減させるのは並大抵のことではなかっただろうと思います(一方でNOxは2サイクルエンジンの場合ほとんど対策の必要がなかった)。
ダイハツは7月にボディを拡幅し,それまで使われていた「フェロー」という名前を廃し,「MAXクオーレ」という名前に改称してマイナーチェンジを果たします。ただエンジンは「フェローMAX550」と同じ51年規制のものを継続して搭載し,ミニカアミ55同様ぱっとしない印象がありました。ダイハツもコンソルテに代わる全く新しい小型車「シャレード」の仕上げに注力していた頃であり,それは新型車であることから53年規制への対応は必須なので,どうしても軽乗用車用の53年規制対応は遅れざるを得なかったのでしょう。先に書いておくのですが,MAXクオーレの53年規制対応は遅れること,昭和54年3月のことでした。
割りを食ったのが,ひょっとすると2サイクルのままでは53年規制に対応できないのでは,と考え,トヨタに依頼してダイハツから軽自動車用4サイクルエンジンを供給してもらうことになったスズキです。Wikipediaによるとフロンテ7-Sでスズキ製53年規制対応450cc2サイクルエンジン車と,ダイハツ製51年規制対応550cc4サイクルエンジン車が投入されたのが同時だったらしく,そりゃあスズキ販売店としても,ダイハツ製エンジンの載ったフロンテよりも,スズキ製エンジンの載ったフロンテを売りたいのは当然といったところでしょう。ダイハツ製4サイクルエンジンの載ったフロンテ7-Sは当時でもかなりの珍車だったような覚えがあります。
なおスズキのフロンテ7-Sは10月にようやく2サイクルのエンジンが550cc化されます。そのタイミングでフロンテクーペを拡幅した「セルボ」をリリースします。ところがエンジンの出力はわずか26psであり,拡幅前のフロンテクーペのようにスポーティさを全面に打ち出すことができません。そこでセルボではコンセプトを変更し,「女性がおしゃれに乗るクーペ」,として売り出すことになったのでした。リヤウィンドウもグラスハッチとし,フロンテ7-S同様,エンジンルームの上に手荷物を載せることができるようにしました。
グラスハッチといえば,スバルのレックス550も,2ドア車のリヤウィンドウをグラスハッチ化して「スイングバック」と称し,昭和53年の3月から売り出しました。リヤにエンジンがある関係上,広い面積の荷室を作るためにリヤシートの背もたれを半分だけ倒す,という構造をとっていました。従ってラゲッジルームの高さが確保できないという欠点があるのですが,その代わり前ボンネットが従来通りトランクルームとして使えることで,それを補っていました。
三菱ミニカアミ55の53年規制対応は遅れること昭和53年夏のこと(Wikipediaでは1979年9月と紹介しているが,何かの間違いでは? 私が小学校6年生の頃だったと記憶しています)。ここでようやくMCA-JETエンジンが搭載され,燃費も60km/h定地燃費が32km/L,10モード燃費が22km/Lと,トップの座を奪還しました。
しかし翌昭和54年,軽自動車界が劇的な変化に見舞われることとなるのです…。
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