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2023年8月20日 (日)

三菱自動車の「軽」を振り返る(13)

 気がついたら2ヶ月近くブログの書き込みをさぼっておりました…。
 そしてキャブオーバー形軽トラック・バンの話が昭和51年ごろで止まっている本連載なのですが,昭和54年に起きた軽自動車界の「劇的な変化」のことを先に書いてしまおうと思います…。

 舞台となったのは残念ながら三菱ではなくスズキでした。それまでRR方式の乗用車「フロンテ7-S」と,荷物室を確保するためあえてFR方式としていたバンの「フロンテハッチ55」がありました。
 どちらも昭和40年代末期に開発された車種であり,豪華な内装や装備を持っていました。乗用車7-Sの足回りも,フロントはダブルウィッシュボーン,リヤはセミトレーリングアーム式の4輪独立懸架となっていました。
 スズキに限らず,どのメーカーも「普通乗用車の小型版」的な軽乗用車を出していたため,公害対策の導入により,値段は高く,しかも走らずという状況となり,軽自動車全体が商品として魅力のない状況に陥ってしまったのでした。

 登録車をリリースしている三菱・スバル・ダイハツはともかく,ジムニー800を除きラインナップが軽自動車ばかりのスズキにとっては死活問題となります。そこで,Wikipediaによると昭和53年中にリリース予定だった新車種の開発をキャンセルし,当時物品税がかからず,しかも公害対策が乗用車に比べてゆるかった (2サイクルエンジンの場合NOx以外は乗用車と比べてさらに有利),40ナンバーの軽商用車をもとに開発を進めることにしたのです。駆動方式はここでスズキとしては12年ぶりにFF方式に戻した(エンジン(3気筒)は従来の2サイクルをFFに合うよう流用)ものの,伝統としていた4輪独立懸架を諦めてリヤを板ばねとし,その他の装備もヒーターを除いて大幅に取り除き,「全国統一47万円」という価格で,昭和54年5月に売り出したのが,初代の「アルト」でした。
 Wikipediaによると,「軽自動車は1人か2人しか乗らない」というリサーチ結果を元に,主婦が買い物や送り迎えに使うためのクルマとして開発されたといいますが,リリース当初のテレビCMは,ヘリコプターでビルの屋上に赤いアルトが降ろされ,そこから車載エレベータで降りて,地下の駐車場から勢いよく発進するアルトの映像が使われており,商用らしくビジネスでの利用をイメージしたものになっていたように思います。「マリアンヌ」という若い女性がパリの街中をアルトで走る様子のCMはようやくその年の秋ごろから流されるようになり,相前後してアルトは急速に売れていったように思います。「ズームイン!!朝!」という番組の中で,英会話のコーナーを持っていたウィッキーさんと元すうとるびの山田隆夫さんがそれぞれアルトに乗り,日本国中をぐるりと回っていた企画を覚えています。

 慌てたのは他のメーカーだったでしょうが,何もしないわけにはいきません。スバルは同じく40ナンバーのバンを,アルトのように赤く色を塗り,アルトのように装備を省いた「ファミリー・レックス」を昭和54年10月に追加しました。値段は48万円。すでに償却が終わっているであろう古いボディのまま登場したので,価格をある程度下げることはできましたが,アルトより1万円高くなってしまいました。
 ダイハツは少し遅れた昭和55年6月に,「ミラ・クオーレ」と称したバンを投入します。旧態依然だったフェローMAX(末期には「フェロー」がとれ「MAXクオーレ」と名乗る)のイメージを脱却するため,ヨーロッパ風のおしゃれなボディデザインをまとったのですが,前年のアルト旋風に巻き込まれたため,おそらく企画の途中で「低コスト」という命題も解決しなければならなかったのではないかと思います。価格の「49.3万円」というのは本当にギリギリの線で出してきたものだったのではないかと想像します。

 これまで以上に「女性向け」で軽自動車を売り出すようになったため,扱いやすさも重視されるようになりました。もっともスズキは2サイクルエンジンだったので低速トルクが強くギヤチェンジの際のエンストも少ないので扱いやすかったと思うのですが,すでにエンジンを4サイクル化(この当時は2気筒)したスバルやダイハツでは大問題になったに違いありません。
 スバルやダイハツが選んだのは,変速機自体はマニュアルながら,クラッチ操作を自動化した「オートクラッチ」です。スバルは電磁式。実は古のスバル360やスバルR-2にも導入されていたのですが,電子制御機構を追加して昭和55年3月にリリース,「らくらくドライブ2ペダル」と称して売りだしていました。ダイハツはリリース当初から「イージードライブ」と称したバキューム式のものを採用していました。
 しかしスズキも,昭和55年5月,日産パルサーやホンダシビックなど普通車でもセミオートマチックの採用に甘んじている中,2速ながらもフルオートマチック変速機をアルトに搭載し脚光を浴びました。

 スズキとダイハツはそれぞれ同時に乗用車版をリリースしており,アルトの乗用車版が5代目フロンテ,ミラ・クオーレの乗用車版が"MAX"の取れた2代目クオーレとなります。スズキは徐々にエンジンを4サイクル化させており,フロンテはリリース当初から2サイクル版と合わせて4サイクル版を投入し,昭和56年5月,マイナーチェンジに合わせて2サイクル版の製造を終了します。アルトは昭和56年1月に4サイクル版を追加し,昭和57年10月のマイナーチェンジで2サイクル版の製造を終了します。
 2サイクルエンジン車の終了は今後公害対策がいっそう厳しくなるという点もあるのですが,ちょうどこの頃,スズキの2サイクル車で「エンジンをかけたら逆回転し,前進ギアに入れたのに後退する」という事象が新聞で取り上げられたことがありました。私も下校中,白いバックランプを点灯させたまま前進するフロンテ7-Sを目撃したことがありました。2サイクルエンジンは原理上正逆どちらの方向にもエンジンが回ってしまうのですが,これが3気筒エンジンになると特に起こりやすく,しかもユーザ側でしっかりセルモータを回さずにエンジンを始動させると逆回転しやすかったとのこと。ただし低速トルクが一層必要な4輪駆動車ジムニー(あえて後述としております)については2サイクルエンジンを引き続き採用しました。

 旧態依然のRR方式を続けていたスバルも,昭和56年8月,まずは商用の「レックス・コンビ」をリリースしてFF化します。ホイールベースを長くとり,他車に比べて車室が長くなり,10月リリースの乗用版2代目「レックス」では5ナンバー車並みの車内長をアピールしていました。また高張力鋼板の採用もアピールしており,ボディ剛性の向上に伴い乗用版レックスでは,2代目三菱ミニカ以来の本格的なバックドアを採用していました。商用版のレックス・コンビも,アルトのようにモノグレードではなく,装備を充実させた車種も追加させており,多様なニーズに対応していました。

 あ,本連載は「三菱」の軽自動車の話でした…。

 当時の三菱自動車は,昭和54年にランサーEXやデリカ(ミラージュのデザイン要素が入ってここでようやくかっこよくなり,現在の伝説的な人気の基となる),昭和55年に2代目ギャラン・シグマとラムダ,さらにそれらのターボ化と,普通車には大変力が入っていた時期でした。
 その反面,軽自動車はというと,アルト,ファミリーレックス,ミラ・クオーレのリリースに合わせて40ナンバーのボンネットバンをリリース…するには,2代目ミニカベースの「ミニカ55バン」は旧規格ボディで小さく,そしてあまりに古すぎる代物だったためそれを使うわけにはいかず,乗用版のミニカアミ55の装備を簡略化した「ユーティリカ」というグレードをようやく昭和56年2月に投入。しかし乗用登録だったため物品税の適用は避けられず,価格が51.8万円と競争力はまったくありませんでした。
 それでも人気の軽ボンネットバン市場になんとかして殴り込みをかけたい。でも普通乗用車のラインナップ強化を急ぎたい(合わせて各車種のFF化も急ぎ進めている状況だった)。そんなジレンマを抱える三菱は,旧態依然のFRミニカを延命させるしか手はありませんでした。

 それで登場したのが昭和56年9月の「ミニカ・エコノ」。ミニカの商用バンとしては実に12年ぶりのフルモデルチェンジとなりました。乗用版についても「ミニカ・アミL」と名前が変わりました。 WikipediaではこのアミLを先代「アミ55」のマイナーチェンジ版と扱っているのですが,ホイールベースが5cm延長されていることもあり,私はアミ55はあくまでも3代目「F4」のビッグマイナーチェンジ版,このアミLからが「4代目」ミニカだと意識しているのですがいかがでしょうか。
 イージードライブへの対応も,ここでようやくオートマチック車を投入。しかしそれは,日産パルサーのスポーツマチック(ただし昭和56年3月にパルサーは新エンジンを採用しフルオートマチックを導入。スポーツマチックは廃止していた)のような,H型のゲートを持つ2速の「セミオートマチック」という代物でした。
 FR方式を踏襲したため,ホイールベースを延長したといえどもそれはわずか5cmであり,他社の軽乗用車には設定されている4ドア車が依然としてミニカにはない,という有様でした。ようやくモデルチェンジはしたものの,商品力はあまり上がっていない印象がありました。

 この時点で商用車用の公害対策は「54年規制」になっており,4サイクル車のNOxが2.30g/kmから1.60g/kmに強化されました。が,乗用車の規制値と比べるとまだまだ大甘な状況でした。
 「商用の軽自動車を乗用のようにして使う」ことがお上に注目されてしまい,昭和56年10月から,4人乗りが可能な軽商用車には物品税が課されるようになりました。税率は乗用車の15.5%に比べるとかなり低い5.5%だったのですが,各メーカーとも荷台が広い「2人乗り」仕様を追加し,アルトは価格「47万円」をかろうじて維持することができました。
 翌昭和57年には公害対策がもう1段階進んで「57年規制」となり(軽商用車のみ),4サイクル車のNOxが1.60g/kmから1.26g/kmに強化されました。が,乗用車の規制値と比べると(略)。

 ミニカの話に戻ると,そんなミニカが一度だけ注目されたのが,「ターボ」でした。なんでもフルライン化が大好きだった三菱は,ギャラン,スタリオン,コルディア/トレディア,ランサー,ミラージュと,デボネアを除くほぼ全ての乗用車にターボチャージャー付き車を用意しており(ふそうのトラックも含めるとさらに幅広くなる),なんとかしてミニカにも載せたい,という気持ちがあったのでしょう。
 しかし暴走族対策で軽自動車のターボを認可したくないお上を,「軽自動車にも今後エアコンが必要になる」と説得したのがうまくいったのか,昭和58年3月に乗用版のアミLと商用版のエコノの両方にターボモデルを追加したのでした。
 上記のような事情だったからか,スポーツ色はかなり抑えられたターボモデルになってしまっており,Wikipediaによるとブレーキは4輪ともドラム,シフトも5速マニュアルは用意されず,肝心の空調も,ミニカのベースが古いためか外付けの「クーラー」にとどまっていたとのこと。ボンネットの上にちょこんとのった「バルジ」がそれらしいものの,なんといってもタコメーターすら装着されていない装備に当時は呆れたものでした。
 なおミニカターボの出力はグロスで39ps。「三菱が軽にターボ車を投入した」と分かると当然他社も追従するわけで,同年10月にはダイハツが商用のミラ(前年に「クオーレ」が取れサブネームがメインに昇格した)にグロス41psのターボモデルを投入,同時期にスズキはアルトベースのクーペモデル,2代目セルボ(昭和57年6月リリース。初代と違い安作りのイメージが強かった。派生車が現在でも一部で人気のピックアップ「マイティボーイ」)にグロス40psのターボが投入され,さらにスバルも12月にグロス41psのターボ車を商用の「コンビ」に追加(このメーカー,その後の「スーパーチャージャー」の印象が強く,レックスコンビ・ターボの存在は完全に忘れていた)。それらはスポーツイメージをやや強調していたので,FRミニカターボは事実上わずか半年でデッドエンドとなってしまうのでした。

 一方でこのクラスの4WDモデル投入も盛んでした。乗用4WDのパイオニアであるスバルは,昭和58年10月パートタイム式の4WDを商用のコンビと乗用の3ドア車に追加。横置きFFでの4輪駆動はおそらく世界初ではなかったかと思うのですが違うでしょうか。しかしまったく同時期にスズキアルトやダイハツミラにも4WD車が追加されたのでした。
 三菱もウィリス・ジープが,そしてこの頃には初代パジェロも登場し,4WDには一家言あるメーカーのひとつには違いない(昭和57年6月,ミニキャブワイド55に4WDを追加。後述)のですが,FR方式のままのミニカにそれを搭載することはかないませんでした。

 とはいうものの,2代目ミニカの登場からすでに14年以上が経過。いくらなんでも,旧態依然のミニカを放置するわけにはいきません。初代ミラージュに続き,昭和58年9月にはギャランをFF化,そしてミラージュも翌10月には2代目に(残念ながら失敗作だったがその話はおく)なり,いよいよここで,ミニカの出番がやってくるというわけです。

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